「理解」の感覚を分かりやすく説明するのにまずは「道」を例に挙げたいと思います。
あまり通ったことが無い道で迷っていた時に、知っている道に出てその光景を見ると「あっここか!」と感じたことがあると思います。
これが物事を「理解」した時の感覚に近いのです。この時、今、迷っていた道の情報と今まで知っていた道「既存情報」が繋がるのです。
記憶術でいうところの極意①「既存情報」と繋げると同じことが起きたのです。
「この道がどこなのか分かった!」と理解するために重要な情報は、周辺の地理情報です。
道を覚えるときどんな情報が必要か考えてみてください。これは、勉強にも同じことが言えます。
特にいつも通っている道と繋がると、一瞬で覚えることが出来ます。
このいつも通っている道が前回学んだ「記憶の幹(物事の核心)」の部分に当たるからなのです。
勉強で言えば「基礎」に当たるでしょう。もし、この基礎をしっかり理解できていなくて、情報同士が繋がっていない場合には、「土台となる基礎」を作らなければなりません。「記憶の幹(物事の核心)」の部分は絶対にしっかりと情報同士を繋げてあげなければなりません。
ここがしっかりとしていれば、あとはこの情報に繋げてあげるだけで「分かった!」という感覚を感じることが出来るのです。
重要なのでもう一度言いますが、理解とは「既存情報」と繋がるときに起こる現象なのです。
「理解」とは何かを説明するためにもう一つの例として「探偵」を挙げましょう。
「理解」の感覚を分かりやすく説明するのにまずは「道」を例に挙げたいと思います。
あまり通ったことが無い道で迷っていた時に、知っている道に出てその光景を見ると「あっここか!」と感じたことがあると思います。
これが物事を「理解」した時の感覚に近いのです。この時、今、迷っていた道の情報と今まで知っていた道「既存情報」が繋がるのです。
記憶術でいうところの極意①「既存情報」と繋げると同じことが起きたのです。
「この道がどこなのか分かった!」と理解するために重要な情報は、周辺の地理情報です。
道を覚えるときどんな情報が必要か考えてみてください。これは、勉強にも同じことが言えます。
特にいつも通っている道と繋がると、一瞬で覚えることが出来ます。
このいつも通っている道が前回学んだ「記憶の幹(物事の核心)」の部分に当たるからなのです。
勉強で言えば「基礎」に当たるでしょう。もし、この基礎をしっかり理解できていなくて、情報同士が繋がっていない場合には、「土台となる基礎」を作らなければなりません。「記憶の幹(物事の核心)」の部分は絶対にしっかりと情報同士を繋げてあげなければなりません。
ここがしっかりとしていれば、あとはこの情報に繋げてあげるだけで「分かった!」という感覚を感じることが出来るのです。
重要なのでもう一度言いますが、理解とは「既存情報」と繋がるときに起こる現象なのです。
「理解」とは何かを説明するためにもう一つの例として「探偵」を挙げましょう。
みなさんはサスペンスドラマや探偵もののドラマ、漫画を見たりするかと思います。今だと「あなたの番です」「真犯人フラグ」がとても人気がありますね。また、名探偵コナンはどんなアニメか知らない日本人はいないのではないかというくらい有名です。
犯人を求めて、いろいろな情報が出てくるわけですが、それらの出てきた情報から「この人が犯人だ」と最終的には一つの真実に辿りつきます。
「情報(知識)をつなげると一つの答えが導き出される」というこの感覚こそ理解の感覚そのものなのです。
大抵の場合、作者は出てきた情報が全て1人の犯人に繋がるように作っています。
勉強が出来る人たちは、今までに出てきた情報(経験してきた情報)を繋げて物事を理解しています。そして、新たな情報が入ってきたときに、それらの情報と繋がるか照らし合わせているのです。
そして、もともとあった強固な既存情報に繋がった時に、理解したという感覚が訪れ、その時一緒に、既存情報の一部として新しい情報が繋がれるわけです。
「目的地」の風景や「犯人」だけを覚えて、その場しのぎを繰り返しても成長がありませんが、これが「答えだけを覚える学習」に近いものでしょう。
道を覚えるためには、目的地にたどり着くまでの過程が必要ですし、探偵として成長するためには「犯人」を特定するために考える過程が必要なはずです。
勉強する上で「理解」をすることはとても重要です。
「情報を繋げて1つの答えを導く感覚」
これを勉強に置き換えて考えてみてください。
今回、「道」や「探偵」を例に理解の感覚を説明しましたが、第三章では同じ例を使って「天才たちの思考術と行動原則」を説明します。
どうすれば地頭が良くなるのか、天才の考え方と行動を考えてみましょう。
【補足】「道」や「探偵」から学ぶ、「勉強が出来ない子は教科を絞り、分野を絞り集中せよ」
動画でも話した通り、
「この道がどこなのか分かった!」と理解するために重要な情報は、周辺の地理情報です。
しかし、目印的に重要な情報だとしても、関係のないちょっと遠くの場所だったらどうでしょうか?
これは勉強で言えば、他の教科をしたり、同じ教科だとしても関係のない分野を学ぶようなものです。勉強の場合は平気でこのようなことをしてしまいます。
関係のない道も同時進行で覚えようとすれば、ごちゃごちゃしてなかなか覚えたい道を覚えられないというのは理解できるのではないでしょうか?
「なかなか道が覚えられない」「地理が詳しくない」人に
欲張って覚えたい場所以外の場所もいろいろ連れ回していては、覚えたい場所がなかなか覚えられません。
「探偵」で言えば別のドラマを見たり、同じドラマでも違う犯人のシーンを見るようなものです。
次々に理解して、道を覚えられる人や名探偵のように次々に犯人を特定できる人なら良いと思います。どんどん成長するでしょう。勉強で言えば、問題を出しても次々に正解できる子どもです。
当たり前ですが、同じやり方ではだめなのです。
勉強が出来ない子は、絶対にいろいろな教科や同じ教科だとしても別の分野に手を出さないことです。
一つずつ理解していくことが最短の道であることを理解しましょう。
体験学習の時に良く聞かれることがあります。
「何教科教えてくれるのですか?」と
答えは「生徒次第」なのです。
出来る子は週2回で3教科も4教科も出来ますが、出来ない子は1教科か2教科に絞って、その他の教科はテスト前にその場しのぎをするしかありません。
「まずは1教科を出来るようにする」という気持ちを持ってください。
【補足】「道」や「探偵」から学ぶ、「あらゆる知識が必要なわけではない」何が大切かを選び取る感覚が重要
「道」を覚えるのにも「犯人」を特定するのにもあらゆる情報が必要なわけではありません。
道の場合だったら、「何を目印にするといいのか?」、犯人を特定するためには「どんな情報が犯人の特定に繋がるか」という情報を集める感覚は非常に重要です。
「道」を覚えるのに、その時にたまたま通っていた派手な車を覚えていても意味ありませんし、ガードレールや信号機を覚えていても全く意味がありません。そこにあった家を覚えていても、どこでもありそうな家なら目印になりません。
「犯人を特定する」のに、通りすがりの人Aを覚えたり、ただ映っているだけの建物などの注目しても意味がないでしょう。これは誰から教えてもらうわけでもなく感覚で分かるのではないでしょうか?
勉強も同じで、この感覚を養っていかなければいけません。
教科書に出てくるもの全て覚える必要もありませんし、理解も必要ありません。問題を解くために重要な部分やテストで点数を取るために重要な部分だけの情報を集める力が必要なのです。
当然、先生に重要な部分を逃さずに聞き取ることも重要ですが、常に先生に教えてもらっていてはいけません。
誰から教えてもらうわけでもなく感覚で分かるという場合がほとんどなのです。教材を見れば分かりますが、大事なところには必ず色が変わっていたり、太字で書かれています。
自分で感じ取ることが非常に重要なのです。
ところが、先生から教えてもらうまで、「全く自分から勉強をしない」という子どももいます。
「どこが大事かを先生に聞きなさい」
勉強が出来ない子はこれを嫌と言うほど親に言い聞かされているため、自分で考えなくなってしまう場合が多々あります。
こうなってしまうと、「先生から教えてもらうまで覚えようとしない」「自分で考えない」「言われたことだけをする」
という間違った成長にも繋がります。勉強が出来ない子は、指示や教えてもらうまで何もしない習慣が身についてしまっているのです。
まずは「自分でやってみる」という習慣をつけるようにしなければなりません。
このことはまた、第三章「天才たちの思考術と行動原則」で深く説明をします。
どう育てるべきなのか「自立」の重要性を考えてもらいたいと思います。