田川の塾|四.「国語」は勉強にするな。趣味にせよ|超効率的勉強法を追求する個別指導の岳伸塾(ガクシンジュク)」

四.「国語」は勉強にするな。趣味にせよ

国語の指導は本当に難しい。幼児から学生時代にかけて学問を通して様々な分野の本を読むだけでなく、家庭でも本を読む習慣がある人もいるでしょう。文章読解力は子どもの成長と共に自然に成長していき、国語の問題は感覚的に解けてしまうのです。だからこそ、塾や学校の授業が原因で点数が上がったのか分かりません。学業の負担が大きい今の時代に、国語(特に現代文)を習わせるのには大きなリスクが伴うと考えています。国語力を本当につけたいのなら、日本最高峰の現代文のカリスマ出口汪先生の動画版論理エンジンをお薦めします。現代文は自分の感覚でひたすら問題を解けばいいというものではありません。それでは私の経験上、本物の国語力は身につきません。しっかりと、問題を解く上での原則やテクニックを身につけてからそれらを駆使しつつ問題を解くようにしてもらいたいと思います。

岳伸塾も最初は国語を教えていました。しかし、国語を塾で教えるのは様々な問題に気付きました。そこで、「岳伸塾が国語をしない理由」としてまとめたので読んでみて下さい。少し長いのですが、これだけの理由があるのです。

目次

  1. 国語は全ての教科の土台になりえるが、点数が上がるわけではない
  2. 国語は勉強しなくても真面目に授業を受けていればそれなりに点数が取れる
  3. 国語力では他の教科の記述問題が解けないことを実感する
  4. 国語力が他の教科へ通じない本当の理由。文章読解力は分野ごとに存在する
  5. 国語を勉強にすると他の教科の成績が下がる可能性がある
  6. 幼児期は国語を勉強にしてはいけない。学習習慣よりも読書習慣を
  7. 3兄弟全員が灘高→東大理Ⅲ(医学部)へ。佐藤ママの読書戦略
  8. 読書習慣を最高に高める方法と勉強の逃げ道
  9. 国語で点数を上げるための力。速読力
  10. 国語で点数を上げるための力。原則とテクニック

1.国語は全ての教科の土台になりえるが、点数が上がるわけではない。

もし手元にあれば、小学生の算数の文章問題を読んでみて下さい。出来れば、割合やちょっと難しい特殊算なんかのほうがいいかもしれません。私たち大人の文章読解力は子供とは比べ物にならないはずです。特に日頃から読書習慣のある人は文章を読むのも速いですし正確に文章を理解できるでしょう。しかし、問題を解くのに手こずったり解けない場合もあるのではないでしょうか?小学生が解いている問題なのにです。むしろ、大人に比べて文章読解力が無い子供達のほうが普段、問題を解いているのでスラスラ問題を解いてしまいます。その理由は国語以外の教科は文章読解力が無くても解けるように作られているからです。また、数学や理科の文章読解力は国語の文章読解力とは大きく異なります。その分野の知識が無ければ、いくら国語力があろうとも全く理解できないのです。これは問題が難しくなればなるほど顕著になります。しかも、数学や理科は問題の文章は国語に比べ遥かに短いのです。国語の力が問われていないのは明白です。

もし、国語が全ての教科の土台になり、あらゆる教科を有利にするような力があるのであれば、文系の人達はあらゆる学問において万能なはずです。果たしてそんな事はあるでしょうか?むしろ、国語力はあるのに数学や理科が苦手で文系を選んだという人も少なくありません。国語にはあらゆる教科を有利にする魔法のような力はないのです。数学の文章題で点数を取りたければ数学の文章題を解くべきですし、理科で点数が取りたければ理科の勉強をするべきです。国語力がなかったから文章が理解できないというレベルでは生活に支障をきたします。そのレベルでないのなら、数学や理科、社会でも文章を読めば何が書かれているか理解できるはずです。もし、分からない場合でも国語力ではなく、その教科・分野の専門知識が不足している可能性が高いでしょう。

国語は国語で点数を取るために勉強をするのです。

2.国語は勉強しなくても真面目に授業を受けていればそれなりに点数が取れる

国語の授業を真面目に受けていれば、それなりに国語力は自然と身についてきます。日常生活で活字を見る習慣があればなおさらです。だからこそ特別、国語を勉強しなくとも点数が取れてしまうのです。もちろん、古典や漢文といった分野は勉強しなければ無理ですが現国ではそういうことが当たり前のように起こってきます。だからこそ、問題が簡単なうちは点数に差がつきません。また、塾へ行かなくても学校の勉強を通じて様々な教科の本を読んだり、家庭でも本や雑誌、マンガなど読んでいる人もいます。どこでどのようにして国語力が上がったのか分かりません。ゆえに塾で国語を習ったから点数が上がったのか、自然に身についたのか判断できないのです。

3.国語力では他の教科の記述問題が解けないことを実感する

受験問題でどの教科も記述問題が増えています。しかし、国語以外の教科では、文章を表現する力はそれほど問われません。その証拠に国語が得意な生徒で理科や社会の記述問題や数学の証明問題が苦手だという人がいますし、反対に理科や社会の記述問題や数学の証明問題は問題なく解けるけれど、国語は苦手と言う人もたくさんいます。最近、入試で記述問題が増えてきたのをいい事に国語を薦める業者が増えてきていますが、これでは合点がいきません。これでは、うちの塾では「国語力がないと記述問題で点数を取らせる事ができない」と言っているようなものです。記述問題で点数を取らせるために国語から始めるなんて聞いたことがありません。結局は儲けるための口実なのです。

記述問題で国語力が必要ないことを理解してもらうために、中学入試の問題(小学生の問題)の例を挙げましょう。

第一問:「寒い冬の日1重の窓ガラスに水滴が出来ていましたが、2重の窓ガラスには水滴がついていませんでした。この理由を述べなさい」

小学生の問題ですので、あえて結露や露点などの用語は避けています。ですので、読解力もほぼ必要ありません。この問題では、「2重ガラスは中に空気をはさむ事によって外の空気から直接冷やされないこと。空気が冷やされると水蒸気が水に変わる」という理由や視点が必要になります。

第二問:「砂が落ちている最中の砂時計を握ると砂が落ちるのが止まりました。この理由を答えなさい」

これは「手の温度によって、砂時計の中の空気が温められる事」「空気が温められると膨張(体積が大きくなる)するという性質があること」という理由や視点が必要になります。

どの問題をみても、高い文章読解力など必要ありません。国語で習うような文章の表現力も必要ありません。これらを解くには理科の専門的知識が必要で、その力は記述問題を中心に勉強する事で身につきます。文章をまとめる力が必要に思えるかもしれませんが、これらの現象を説明するために文章の中にどんなキーワードを入れるべきか、どのポイントを押さえなければならないかの判断が出来れば、それほど難しい事ではないのです。むしろその判断のほうが難しいのです。それが出来なければいくら国語力があっても何も書けません。記述量の多い数学の証明問題でも同じ事が言えます。また、他の教科の記述問題をこなしていれば、その教科の知識や理解が深まるだけでなく、簡単な文章をまとめる力も同時に高めることができます記述問題はその分野の知識が重要で国語とは全く別物と考えるべきでしょう。

物事をしっかり理解していれば、説明は出来るものです。うまく説明できるようになるためにはどうすればうまく伝える事ができるかしっかりと考え、何度も練習を重ねてみる事です。その内、説明がうまくできるようになります。決して国語力を上げるというアプローチから入るものではありません。

国語力があるから他の教科の記述問題が出来るのだという先入観は捨てましょう。それは最近のビジネストークを鵜呑みにしているだけです。国語力が高いとはそんなレベルの低い話では無いはずです。語彙力があって表現力が豊かで、相手の心を動かすくらいのものではないでしょうか?だからこそ、歴史的な文豪の書いた文章が国語に取り上げられるのです。他の教科の記述問題で必要な国語力くらいは普通に勉強をしていれば身につきます。でなければ、社会に出たときに仕事の説明なんか出来ませんよ。もっと複雑でしょう?うまく説明が出来なければ、国語からやり直しますか?

4.国語力が他の教科へ通じない本当の理由。文章読解力は分野ごとに存在する

これは速読の考え方なのですが、まず、速読が出来るようになる一つの要素として、速読をしたい分野に強くなるというのがあるのです。特定の分野には、その分野における特有の表現やワードが多く出てきます。これらをうまくイメージ化できなければ、文章の読解に時間がかかってしまい速読はできません。これは、文章読解力には特定の分野ごとに異なることが原因なのです。

国語であれば文豪が書いた小説などには、私たちが日常使わないような表現が多々出てきます。直接的な表現を変え、比喩をうまく使った文章など特徴的です。それと同じように、数学・理科・社会・英語全てがその分野に関連性のあるキーワードや表現で文章が成り立っているため、読み方が全く違うのです。普段、難解な文学小説を読むのに慣れていたとしても、その力は多分野では通用しないのです。

あなたが専門的な仕事をしていればしているほど、世間一般の人達が知らないことを知っていると思います。そういう人達が読んでいる専門書を普段小説を読んでいる人がスラスラ読めると思いますか?読めるわけありませんよね。反対に全く本を読まない人でも仕事などに関連のある特定の分野の書籍ならスラスラと読み、素早く理解できるでしょう。それと同じくらい国語、数学、理科、社会、英語は分野が離れているのです。

私は以前プログラミングをしていました。コードを速く読解できる様になるには、普段からコードリーディングすることが重要です。どんな役割のコードなのか日本語の解説を読むよりも、コードを分析するほうが速い場合もあり、トレーニングにもなります。プログラミングの知識が無い人は素人用に書かれた入門書を読んでも、まったく理解できないでしょう。日本語でかかれた部分すら読解に時間がかかってしまいます。ところがプログラミングに慣れた専門家は瞬時に理解できます。それもほとんど読まずにそのページに何が書かれているかまで判断できるのです。これほどの速読は存在しないのではないかと思います。小説などとは違い、専門書にはこういった速読が出来る場合が多々あります。これは国語力の問題ではないのです。この考え方は数学や理科にすごく当てはまるのではないかと思うのです。このことが理系と文系を分ける大きな差ではないかと考えています。

文章読解力も速読の力も、特定の教科さらにはその中でも特定の分野によって異なります。この事実は分野ごとに読書が必要なことを示しています。文章読解力はさまざまな教科の読書によって高めることが出来ますが、その能力は分野別であることをしっかりと理解してください。このことは小説の読書が国語の現代文の読解に効果があることが、その読解力は他分野では通用しないこと。また、国語の勉強では他の教科の点数を上げる事が出来ないということを改めて教えてくれるのです。

5.国語を勉強にすると他の教科の成績が下がる可能性がある

国語を塾で習うと他の教科の成績が下がる可能性があるのです。下の比較を見てください。

塾で習う学習時間を揃えるために「週に2回数学をした子」と「週に1回ずつ数学と国語をした子」で比べるといろいろな問題が見えてきます。

まず第一に時間的な問題です。塾での勉強時間は同じですが数学の勉強時間は半分になってしまいます。半分と言うのはかなり大きな割合なのです。数学の成績に大きく差が出来てきます。

次に忘却の問題です。数学が勉強時間が半分になった事で週に1度しか勉強が出来なくなりました。これは人間の記憶にとって大きな問題を生み出します。週に1回と2回では次に塾で勉強をするときに学習した事を覚えている量が大幅に変わってきます。さらに、週に1回と極端に少ない場合はかなりの量を忘れるため学習スピードは週2回の子に比べて、3倍も4倍もつくことになります。それは時間を置くと問題を解くスピードが遅くなったり、最悪の場合には解き方を忘れて完全に止まる場合もあります。そのときにはまた、問題の説明から始めなければなりません。

最後に周りのライバル達も時間と共に国語力が身につくということです。国語を塾で習わなくとも、学校でさまざまな教科の本を読むことになります。また、家庭でも文章に触れることはあるはずです。大人になるにつれて必ず国語力も成長するのです。幼少期に文章読解力をつけるために国語を学んでいたとしても、そのうち、周りも国語力が自然と身についてきます。下手をすると塾に通っていない読書習慣のある子に抜かれてしまいかねません。

もし、国語を塾で学んで点数が上がらなかったり、周りの子と変わらなかったりすれば、それは実質、成績が落ちたのと同じことです。なぜなら、数学と英語は日常生活で自然に身につくものではなく、学ぶことによって成長するものだからです。国語と比較すればその違いは歴然です。

6.幼児期は国語を勉強にしてはいけない。学習習慣よりも読書習慣を

国語はとても特殊で読書によって能力を高めることが出来ます。そして、その読書は趣味にもなりえるのです。

大抵、小学生や幼児でする国語は現国だけです。しかし、中学や高校になると古典や漢文が入ってくるので、現国が占める配点の割合は半分以下になります。また、現国のうち、文章読解力は国語でなくてもあらゆる本から身につけることが出来ますし、表現力、伝える力と言うのは読書習慣がある子なら、いろいろな本からそういった表現や文章を何度も目にする事である程度身につきます。せっかく塾で国語力をつけたのにいつの間にか周りの子も国語力が付いていたとなりかねません。

また、幼児期にできる勉強時間の量は中学・高校生よりも限られています。それほどまで大きな負担には耐えられないからです。その限られた時間の中で、国語を勉強にすると、他の教科の勉強時間が大幅に減ってしまいます。だからこそ、国語力は読書習慣で身に付けるほうが良いのです。幼少時代の勉強は算数・数学・英語などに絞り、国語は読書を趣味にします。そうする事によって、無理なく勉強時間を確保でき、絞った教科はより確実に実力をつけることができる様になります。

塾に通っていた生徒の中でも読書が趣味で好きな子がたびたび現れます。こういう子たちは勉強の合間に気晴らしで読書をする事ができます。文章読解力を鍛えるのにはとても効率的で最高の趣味と言えるでしょう。国語は勉強にはせず、趣味にして下さい。「塾にいって国語の勉強をする」か「家で読書をする」かの2択を与えたら、子どもは「家で読書をする」ほうを選ぶ子は多いと思います。家庭での読書なら子どもの負担も学費の負担もかからず済みますよ。

そして、読書習慣にはおまけにもう一ついい事があります。それは、塾で国語を勉強すると塾を辞めてしまえば国語の勉強をしなくなる可能性が高いですが、読書を趣味にしてしまえば一生物のスキルになると言う事です。読書習慣は大人になってからも仕事をしたり、人生を生きていく上で、様々な知識や考え方を授けてくれます。大きな壁が立ち塞がったとき解決策を与えてくれるかもしれません。今からでも、遅いと言う事はありません。本を読む習慣を身につけ、子どもが賢く人生を生きていけるように最大限の努力をして下さい。

7.3兄弟全員が灘高→東大理Ⅲ(医学部)へ。佐藤ママの読書戦略

「幼少期には何から始めたら良いでしょうか?」という問にたいして佐藤ママは以下のように応えています。以下は『「灘→東大理Ⅲ」の3兄弟を育てた母が明かす志望校に合格するために知っておきたい130のこと』著:佐藤亮子より一部抜粋。

小さい頃に大切なのは、絵本を読み聞かせることと童謡を聞かせることだと思います。この時期は、日本語は耳から入ってきますから、最大の目的は、耳からきれいな日本語を入れることです。

多くの絵本は、人間の性質のいいところがまとまった話になっており、幸せな雰囲気を感じます。幼少期の子どもには「いいところ」だけを心に残してあげたいですね。

絵本を読む量ですが、私は「3歳までに1万冊」を1つの目安にしていました。ものすごい量に聞こえるかもしれませんが、1日10冊を積み重ねていくと、だいたい3歳までに1万冊の計算になります。

3歳までに一万冊です。なかなか出来ることではありませんね。しかし、このことからも、佐藤ママがいかに読書が大切に考えていたのかというのが分かるのではないでしょうか?

8.読書習慣を最高に高める方法と勉強の逃げ道

読書習慣は勉強にとって最高の趣味であると私は思います。しかし、これもまた万能ではありません。ゆっくり楽しみながら本を読む子は速読の力が付きませんし、絵の多いマンガでは国語力はそれほど上がりません。また、読書習慣から得られる国語力は限られています。文章読解力や表現力などはある程度、身につくかもしれませんが読むだけでは全てインプットになってしまいます。読書習慣のある子の中には自分で本を書こうとする強者がいるのですが自分で執筆する事はアウトプットになり、学習効率を遥かに高める事ができます。今の受験で力の試される作文や小論文にとっては最高の勉強になるでしょう。

また、最も注意しなければならないのは、読書習慣が勉強の逃げ道になると言う事です。読書習慣が完璧に身につき、趣味のレベルにまでなった人は特に気を付けなければなりません。読書は全ての教科の成績が上がるような魔法ではありませんし、身につけることが出来る能力のなかで受験に必要な力は限られます。しかし、読書は良い事だという強い思い込みは、勉強がきついときの逃げ道になりかねません。特に読書で気晴らしが出来るレベルではなおさらです。

なぜこんなことを言うのかと言うと、生徒の中に稀にいるからです。自ら本を書いている子もいました。確かに国語の点数はいいのですが、古典や漢文はそれほど良いというわけではなく普通で、現代文や作文の問題で点数を稼いでいました。この子は数学と英語が異常なほど苦手で他の3教科に比べると極端に点差が開いていました。また、他の国語力が高い生徒の中には数学や理科、社会、苦手な教科は様々でした。

それにも関わらず、生徒本人は長い経験から読書の習慣が国語力を高めたのだと確信しているため、少し勉強に疲れると読書にふける子がいます。受験直前にも関わらず、読書の時間が受験勉強を圧迫していました。この子に関しては、読書習慣が無い子の方が受験勉強の時間が長かったように思います。ゲームやスポーツなど受験生にとって「明確な逃げ道」を持っているよりも、読書と「罪悪感のない逃げ道」を持っている子のほうが不利になることもあるのです。何事も「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」なのです。

佐藤ママの書籍にも同様の内容が書かれていました。『「灘→東大理Ⅲ」の3兄弟を育てた母が明かす志望校に合格するために知っておきたい130のこと』著:佐藤亮子より一部抜粋。

読書経験と国語の成績は関係があると思います。しかし、国語の成績を上げるために読書をすることは、遠回りになることもあると考えています。

国語の成績を上げる近道は、現代文の問題を解くことだと思います。読書が成績アップの遠回りになることがあるといった理由はここにあります。

なぜこのように思い始めたかと言うと、受験期である中3や高3、あるいは浪人生のときに、受験生が「本を読む」ことを勉強の逃げ道にしているという話を聞いたからです。マンガを読んだりゲームをしたりすると、本人も罪の意識を持ちます。しかし読書であれば、罪の意識は生まれにくいのでしょう。

もしお子さんがこういった状態に陥っていたとしたら、「読書をしていて偉いな」「しっかり勉強しているな」と考えるのはやめましょう。厳しい言い方になりますが、難しい文学作品を読んでいたとしても、この場合の読書はただの「逃げ」であると、本人に自覚してもらったほうがよいでしょう。

9.国語で点数を上げるための力。速読力

本を速く読めるようになる能力は非常に大切です。これは、塾で国語を学ぶべきではない理由の一つです。幼児や小学校低学年では、一緒に読まないと真面目に読んでいない子やずるをする子も出てきます。そこで、生徒みんなで回して本を読むことになるのですが、それでは音読になってしまい、速読とは違う間違った読み方を身につけてしまいます。本を読むのは生徒達に任せ授業を進行したとしても、塾が速い子に合わせて進行すると、ついていけず文章を読み取る事が出来ません。反対に遅い子に合わせるとその読むペースが身についてしまいますし、授業のペースも遅くなってしまいます。

だからこそ、国語は自学が出来る環境を整えるようにしましょう。まず身につけるべきは速読力です。速読を学ぶ事ができる学習塾は本当に少ないので、身近に無い場合は「プチ速読」をお薦めします。プチ速読はDVDもありますし、書籍も出版されています。速読のトレーニングする前後のタイムを必ず測りましょう。すぐに2倍や3倍くらいは速く読める様になっています。トレーニングをサボったり、集中力がないとすぐに戻ってしまいますが、普段から速読を意識して読書をすることで速読はある程度、身につけることが出来ます。速読にもいろいろな種類がありますので、様々なものにチャレンジしてみてください。

速読が身につけば、他人よりも何倍もの速度で本を読むことができる様になります。この力が身につければ他人と一緒に国語を勉強することがいかに非効率であるか理解できるのではないでしょうか?さらに速読力は全ての教科を有利にすることができる素晴らしい力です。本当に魔法のような力なので、にわかに信じられないかもしれませんが、タイムを測ればすぐに実感できるでしょう。トレーニングが面倒ですが、継続していれば必ず読書スピードが上がりますので、その速度を維持したまま読書に持ち込みましょう。

10.国語で点数を上げるための力。原則とテクニック

国語は感覚の教科と思っている人も多いと思います。それは一理あるのです。国語の点数は国語力のある人なら感覚で解けてしまいます。その感覚を養うために、問題をひたすら解かせるような方法をとる指導もあります。それでは、読書習慣で身につく力を大きく凌ぐ事は出来ませんし、点数が上がったとしても学校や塾で学んだ成果なのか判断しにくいのです。問題が解けるその感覚を原則として分かる形でまとめ、点数が取れるテクニックへと落とし込んでいる指導者は日本でも数少ないと思われます。

そこで、国語力を高めたい人は動画学習で身につけるのをお薦めします。論理.net(論理エンジンの動画版)を利用すれば日本最高レベルの授業が受けられます。まずは正しく問題を解くための「原則」や「テクニック」を身につけてから、それらを駆使して問題を解くようにしましょう。これが反対になっては非効率です。自分の感覚で問題を解いていては国語の問題をいくら解いてもうまく成果がでません。

子供が家では勉強しないからという理由で、塾など他人任せにするのは反対です。特に国語は指導が難しくリスクが大きい。だからこそ「何の教科でも対応しています。好きな教科をお選びください」といった形の学習塾でアルバイト任せのようなところに預けていけません。教科ごとに何のこだわりも理由も無くどんな教科も対応しているのはデメリットとしか思えません。受験を毎年経験していると、どのように乗り越えるか戦略が出来るものです。どの時期にどの教科を押さえるかなど・・・。大事な事なので決して生徒任せに出来ません。動画学習はちょっとと言う人でもこだわりを持って国語専門でやっている先生から学ぶべきです。趣味の読書習慣で身に付く程度の国語力が身につくだけではわざわざ塾へ通って勉強の負担をかけるべきではありません。