僕はいつもジャージなのです。昨年までは、塾長らしい姿を心掛けて夏はカッター、冬はスーツを着るように心がけていました。普段はこのような服は着ませんので、余計な出費です。それから、家でもこんな姿で過ごしていませんので着替えなければなりません。毎日毎日のたった数分の着替えですが、それが億劫になってしまいジャージ姿に。ダメな塾長です。
間違いなく、塾の経営として考えたとき、ジャージ姿なんてマイナスイメージにしか繋がりません。でも、今はこのジャージ姿こそが最強だと思っているのです。
スーツでビシッと決まった学習塾に比べたら、はっきり言ってイメージは良くないでしょう。しかし、ダメな塾長は「着替えるのが面倒くさい」という理由でマイナスイメージの家で過ごしているジャージを着たまま塾に行くのです。そして、それはエスカレートしほぼ毎日ジャージ姿になってしまいました。時折、ジャージ姿でどう思われているのか内心、「不安」を感じていました。
しかし、そんな塾長の思惑とは反対にこんなジャージ姿を見ても誰一人として文句1つ言わないのです。
中には僕の知らないところで、「ジャージだからやる気がない」とか「きちんとしていない」などいろいろな事を言い合っている人もいるかもしれません。もし大半の子供たちや親御さんがこのように思っていたら、塾が満席になるほどの人気は得られなかったと思うのです。
本当に優れた子供たちは「見た目なんか関係ない」「中身を見てくれていた」のだとハッと気づかされたのです。
「不安」を感じている僕自身が本当に生徒のことを信用しきれていないのだとむしろ反省させられました。
むしろ、僕はこの「ジャージ姿で伝えたいことがあります」。これは僕の「欠点」です。スーツを着るということはこの「欠点を隠して良く見せよう」としている行為なんだと思うのです。
世の中の指導者たちは完璧な人間ばかりではありません。むしろ、完璧な人間の方が少ないのではないでしょうか?
僕がこのジャージ姿で伝えたいのは「欠点がある指導者からでも多くのことを学んでほしい」ということなのです。
こう考えるようになったのは、塾を始めて4年間での学びの中にあったからなのです。
正直に打ち明けると、「クレームもある」のです。この文章を見ても分かる通りダメな塾長です。欠点を探そうと思えばいくらでも見つけることが出来るでしょう。決して多くはありませんが生徒の中には「人の欠点を探し、それを親に言いつける習慣」を持っている子もいます。そういう場合のほとんどが「親も一緒になってそれをしているのです」。
子供から親に指導者の悪口を言い、それを親が認めてしまえばその子にとって「指導者の立場は下がってしまいます」。それを繰り返せば繰り返すほど「親は指導者への不信感を深め、子供はダメな指導者だという印象が深まってしまいます」また、このような習慣を持っている生徒の中には「自分が勉強が出来ない言い訳を他人の欠点のせいにする」子もいます。「僕も悪いけど、それは先生のせい」「先生が悪いから僕が悪くなる。僕は悪くない・・・」その結果として、破滅的な最後を迎えてしまいます。「この塾はあっこが悪い。ここが悪い。」僕はその愚痴を言いつける習慣こそ悪いことであると考えていますので、それを直すように言います。結果、お互いがお互いの悪いところの言い合いになって、関係が悪化して塾を辞めていくという経験も何度かしました。
ただ、本当にそれは少数派なのです。そうでなければ、今頃、このダメな塾長が原因で岳伸塾は潰れているでしょう。
むしろ、ありがたいことにお互いが感謝し合って、良い関係を作って卒業する生徒の方が圧倒的に多いのです。卒業生の中には「高校の範囲の勉強は教えられないよ」と言っているのにもかかわらず、「環境だけでもいい!」「教えに来ます!」と言ってくれる卒業生までいるのです。
同じように教えていても子供によっては、真逆の結末を迎えてしまうのです。
これは「僕が変わるべきなのでしょうか?」それとも「子供が変わるべきなのでしょうか?」そう考えたときに、「僕が完璧になるのではなく、完璧でない欠点のある指導者からでも学べる子供たちにしていくべき」だという結論に至ったのです。多くの生徒たちが良い人間関係を作って卒業していくのなら、それが出来ない生徒が変わる方がその子にとっての成長ではありませんか。
このように完璧を求めない塾長を良く思わない人もいるでしょう。しかし、完璧を追求しないのは勉強の内容や指導方法ではないのです。勉強とは関係のないはずの「見た目」の部分なのです。欠点を隠さないほうが子供の成長に繋がるのであれば、喜んで本来の自分自身に近いジャージ姿でいようと思えたのです。これは支えてくれる生徒達や親御さんたちが気付かせてくれたことなのです。見た目の完璧を求めない代わりに、このように世の中が良くなっていくように子供たちが正しく成長していけるように声を上げていきたいと思います。
完璧で無くてもいいと思えることで、僕自身も余計な心配をすることなく「勉強」という本来大切な部分に専念できるようになりました。優れた子にとっては本当に必要なのはそこだけで十分なのです。
ところで、少し話は変わりますが生徒や親御さんの話を聞くと「学級崩壊をしているクラスが少なくない」というのです。
「学校の先生の悪口や欠点をあなたの子供は言っていないでしょうか?」
学校の先生であっても完璧な人はそうはいません。欠点だって当然あると思います。その欠点を親に言いつけるような習慣は絶対にやめてください。友達同士でも指導者の悪口や欠点を口にするべきではありません。相手が子供たちと言えども指導者は1対複数で対応しなければならないのです。その子供を支持するということは、1対複数人にさらに親も加わり、大勢で1人をいじめているようなものです。その結果、今は学校の先生になりたいという子供たちがいなくなり、鬱になる先生もたくさん増えてしまったのです。子供と親も一緒になって指導者の欠点や悪口を言うような世の中になってもらいたくありません。お願いですから、あなたはそのような親にならないでください。いじめが悪いと分かっていながら同じような事を指導者にしているのです。子供が指導者の欠点や悪口を言っていたら、叱れる親になってください。
指導者であっても完璧でなく欠点があってもいいのです。人や環境を選ばず成長していける子供になってもらいたいと考えています。だからこそ、人の欠点を探すようなことはせず、人の良いところを見つけて自分自身の成長につなげていけるようになってほしいと思います。
最後に、勘違いしてほしくないことがあります。指導者は教え子の良い面も悪い面も見つけてあげなければなりません。良い面ばかり見ていては、悪い面が直らないからです。完璧な子供だってそうはいないはずです。悪いことをきちんと見つけて叱れる指導者に出会うこともまた大切だと思いますし、子供にとって親は指導者の立場ですから、しっかりと悪いところも見つけ叱ることもしてもらいたいと思っています。
子どもには「人の欠点や悪いところを見つけるな」と言いながら、「指導者なら人の欠点や悪い点を見つけるようなことをしていいのか」と思うかもしれませんが、それが指導者という立場なのです。褒めるだけでは良い成長をしていかないのです。悪い面も見つけてあげ、指摘すべきですし時には叱る必要もあるのです。当然の話ですよね?指導者は多くの教え子を見て、経験を通して良い面も悪い面も見つけられるようになります。だからこそ、それが指導者の使命なんだと思うのです。
塾で教えられることは勉強だけではないと思っています。学習塾という仕事を通して、少しでも自立した社会人になれるように役立つことが地域への貢献だと思っています。
今日もおそらく塾長はジャージです。しかし、それを見てどうかダメな塾長と思わずにここに書いてある伝えたい想いを思い出し、あなたや子供の成長に繋げてください。
勉強で分からないところがあった場合、「勇気を持って自分から質問する」ことがとても重要だと前にも言いました。1対1の個別指導でつきっきりの聞きやすい環境を作ったおかげで「質問がしやすい」というのは、お金を出す消費者の目線としては良いかもしれません。しかし、これは一時的なものであることに気付いてほしいのです。学習塾で学ぶ時間というのは学校で学ぶ時間と比べると遥かに短いのです。高額な個別指導なら、なおさら多くの時間を割くことが出来ません。
「勇気を持って自分から質問」をすれば、自分の力で1対1で教えてもらえる環境を作り出すことが出来ます。その時に、指導者が学歴が低いからとか友達だからとか下級生だからとか言い訳をしていると、教えてもらえる指導者がどんどん少なくなってしまいます。1対1の個別指導などお金で贅沢な環境を与えることは、環境に贅沢になったり、自らで理想の環境を作り出す機会を奪ってしまう可能性があるのです。
僕は生徒が「分からなくて止まって何をして良いか分からない」という状況でない限り、どんなに余裕があっても横につきっきりになることはありません。その代わり「分からないところがあったら、先生に聞いて」といつも言うようにしています。生徒がそのように「行動を起こす」ようになることが大切だからです。それから、横につきっきりにならないのはある程度自立して勉強ができるとその生徒を信頼しているのです。
ここまでの、文章を読めば良い印象を与えるかもしれませんが、実際はただ横に付きっ切りにならないだけではありません。余裕があるときは時間がもったいないのでデスクワークをして、資料を作ったり別の仕事をしたりしているのです。生徒からすれば「僕の勉強を教えないで自分の事ばかりしている」と思う生徒もいるかもしれません。つまりは監視されていないのです。僕はこの「監視がない状態でも真面目に勉強に取り組むという姿勢」も身に着けてもらいたいのです。これが出来る理由は生徒たちが自立しているからに他なりません。自立していない生徒が入塾した場合には本人に任せられないので、その子をいつも気にしながら指導しています。
学校や家庭学習の間は当然、監視などありません。「監視がある状態でなければ勉強しない」というのであれば、それこそが問題なのです。また、社会に出て仕事をしたときに、上司が部下を「常に仕事をしているのか監視」をする会社はほぼありません。なぜなら、その上司にも仕事があるからです。僕は塾長なので、スタッフと違い仕事は山のようにあります。資料の作成を考えると無限の仕事ではないかと思うほどです。このホームページの更新や動画作成もやらなくてはなりません。個人経営なので広告や会計事務もしなければなりません。岳伸塾では、「勉強は社会へ出る準備」だと考えています。
必要以上に先生に依存しないように心掛けているのです。「生徒が自分から分からないところは分からないと言うだけ」で、生徒本人の自立を促す上に、塾の負担も減っているのです。その結果として、塾長は他の業務をすることが出来、より理想的な学習環境を整えるのに時間を割くことが出来ています。
「他の塾と比べてみてください。」
岳伸塾は個人経営の学習塾です。ホームページも業者に任せずに自作しています。さらに本格的にオリジナルの動画学習を作成したり、勉強法の公開をしたりしているのは地域の中で岳伸塾だけではないでしょうか?しかも、塾を立ち上げてまだ4年しか経っていない(2020年時点)のです。今は、より高い学習環境を作るために公立高校に特化して資料の作成を行いさらに進化を続けています。スタッフが少ないのにも関わらずこれだけのことが出来ているのは生徒達や親御様の協力関係があってのことなのです。
そして、こんなに生徒達に任せているのにもかかわらず、今まで話してきたように実績も出ています。協力し合うことはお互いに「利」をもたらすのです。
恵まれた環境というのはお金を出せば簡単に与えることが出来ます。「高学歴のスタッフ」「1対1の個別指導」これらもとても魅力的で恵まれた環境だと思います。
岳伸塾はこの反対の環境であると言えるかもしれません。決して恵まれた環境ではありません。塾長は「高卒」、高学歴のスタッフもいますが「生徒」だったり「小学生」すらいるのです。そんな環境でも、生徒たちで協力し合って生徒たち本人で良い環境へと変えていっているのです。そういう精神や経験を積むことが大切だと考えています。
「協力し合う」というのは、生徒たちの勉強に対する考え方だけではなく親御様の考え方もまた大切になってきます。もし、誰かが「お金を払うのだから少しでも多く勉強を教えてもらいたい」と親御さんが考えていて、そのような思考を子供に与えてしまうと、その子は依存に陥ってしまいます。もし、その子に先生がつきっきりで教えたとしたらそれだけで、他の生徒を教える先生が減ってしまったり、いなくなったりしてしまいます。岳伸塾ではスタッフが多くありません。ですので、1人の生徒が先生を独占してしまうと、多くの生徒が「教えてもらいたいときに教えてもらえない」という事態を引き起こすのです。
依存が強くなれば「学校や友達よりも塾で教えてもらった方が分かりやすいから、塾で教えてもらおう」という考え方にも繋がります。学校や友達からの学ぶ機会を奪い、さらには塾への負担が増してしまいます。たった一人がこのような考えを持つだけで塾での学びの環境は大幅に悪化してしまいます。こういう子は1対1の個別指導(依存型)で勉強をするしかないでしょう。依存するなんて僕は絶対に薦めませんが・・・。
その考え方の反対が「協力」です。塾であればその協力が「自立」なのです。学ぶ場所は塾だけではないのです。塾に負担をかけないように生徒達みんなで協力をする思想をもてば、学校で分からなければ、学校の先生や友達に教えてもらうようになりますし、やり方を忘れて何度も何度も同じところを質問しないでいいように「復習」をするようになります。このようにすることで、いざ分からないところがあったときに、すぐに先生に教えてもらうことが出来るのです。短い時間かもしれませんが、本当に必要な時だけ1対1で教えてもらえます。一人一人の協力的な思考と行動によって塾だけでなく生徒自身にも良い環境を自らで作り出しているのです。
また「自立」のさらに上として自分だけではなく他人を「教える」ということまでやっています。何度も言っていますが岳伸塾では生徒が「先生」をしてくれています。そうするとさらに塾の負担は減り、「分からない時にすぐに教えてもらえるという環境」という面でさらに理想的な学習環境が生まれます。そして、塾側に余裕が出来れば出来るほど、資料を作成したりなど準備に時間をあてられるようになります。生徒一人一人の協力が塾をより良い環境へと変えていっているのです。そのおかげで、スタッフはほとんどの時間を資料の準備に使っているのです。塾長に生徒を教える余裕がなかった時にだけスタッフにも生徒の個別指導を手伝ってもらうという状態です。塾長だけでなくスタッフもとても余裕が出来るのです。また、塾の負担だけではなくて、割引をしてもらえ家庭の負担まで軽くすることが出来るというメリットまであるのです。
「お金を払うのだから少しでも多く勉強を教えてもらいたい」と考えるのは当然のことですが、それは塾への依存が強い考え方なのです。親御様がこのように塾への依存を当たり前になっているとそれは必ず子供にも影響します。そう考えるのではなく、「分からない時に教えてもらえる環境があれば十分」だと考えられるようにならなくてはなりません。それが岳伸塾に通っている生徒達の考え方なのです。
「塾へ通わせたい」と考えている親御様は「塾に頼りたい」わけでそれこそが「塾への依存」なのですが、塾に頼りすぎるのはよくありません。「何をどうしていいか分からない」という状況を抜けたら、徐々に「自立した学習者」になるよう育てていくべきです。だからこそ、その考えを伝えなければなりません。
「お金を払うのだから少しでも多く勉強を教えてもらいたい」と考えている親や子供が集まっている塾。お互いに先生を取り合い、足を引っ張って「教えてもらいたいときには順番待ち」、その上、「学校で学んでこない」塾だから生徒は依存して当たり前という考えを持った人たちも大勢います。そういう環境の塾もありますし、そうなるように知らず知らずのうちに親御さんが教育している場合もあります。そういう環境で学ばせたいですか?
それとも、恵まれた環境ではないけれども「生徒達がみんなで協力し合って良い環境を作り出そう」とし自立を促す塾で学ばせたいですか?
どちらを選ぶかは親御様次第です。ただ、岳伸塾では依存しようと思っても十分な人数のスタッフはいません。自立するしかない塾なのです。だからこそ勉強に対する考え方・思考が重要なのです。
まずは、僕が歩んできた波乱万丈の人生を聞いてください。
僕は高校3年のときにスポーツで膝の靭帯を断裂しました。専門学校を受験し学科試験では合格したものの面接で不合格、そのまま膝の手術が必要になり、卒業式も参加することが出来ませんでした。その後は親が看護師をしていたというのもあり、何となく看護学校に行ったのですが、そこで手術した膝の靭帯が再断裂し患者さんを移送することが困難になりました。それから、警察や自衛隊の試験を受けましたが、学科試験は合格するもののすべて膝が原因で最終選考まで残りませんでした。その後は、派遣やアルバイトなど数多くの仕事を経験しました。年齢を重ねるごとに仕事に対する劣等感が増していき、独立したいという思いが強くなっていきました。
僕は派遣やアルバイトをしながら、26歳の時に独学でプログラミング言語やアドビのデザインソフトの使い方を独学で勉強し、ITの事は何も分からないまま6個くらいの言語を使えるようになりました。その後、ホームページの作成を始めたのですが生活していくのには程遠いものでした。
その後、僕の膝は年齢を重ねるごとに悪くなっていきました。30歳になるまでに膝の手術は合計5回に達しました。最後の手術は「軟骨がすり減って穴が開いているので、軟骨を取って培養して、またそれをもとに戻す手術が必要」と言われました。最後の手術は膝の中がボロボロに傷ついたところを綺麗にし、閉じただけだったのです。その手術を受けるとなるとリハビリなどを含めると半年の入院、さらに1年以上の通院を余儀なくされるのです。とてもではありませんが、資金的にも精神的にもその手術をうける余裕はありませんでした。
そんな時に親戚のおじさんの葬式がありました。そこで、いとこの姉ちゃんから「子供を田川高校に入れたいので勉強を教えてやって」と言われたのです。中学の勉強なんてやっていませんし、ブランクは15年くらいになるのではないでしょうか・・・。最初は勉強を教えてもうまくいきませんでしたが、勉強法を学んだことでそれが一転したのです。60点台から98点を取り、数学は学年トップになりました。今思えば、これが僕の人生の大きな転機になりました。
「ホームページの作成で成功したい」という思いもありましたが、その一方で生活していけない現実がありました。塾や家庭教師なら夜に教えて、昼間はホームページの仕事が出来ると思ったのです。たった一人の成績を上げただけで、塾を立ち上げることにしました。正気の沙汰ではありません。最初は家でやっていましたが、しばらくして親に無理やり近くの小さな土地を買い、コンテナハウスを建ててもらえるよう頼みこむようになりました。うちは決してお金持ちではありません。両親ともにサラリーマンですし、2人とも中卒で中学卒業後、すぐに働き始め決して多くない給料を家族の生活のためにコツコツお金を貯めてきていたのです。それを当てにしていた僕は本当に最低の人間だと思います。しかし、その時の僕は「こんな人生ならいつ死んでもいい」と考えていたのでまともな考えではなかったと思います。親と何度も口論になりましたが、その時は人生どん底でそれが唯一の望みのように思え、引くことが出来ませんでした。本当に必死でした。僕の人生を不憫に思ったのか最終的には親も認めてくれて、今の小さな塾を立ち上げたのです。小さな塾ですが、僕の両親が銀行の定期預金や生命保険の定期を崩しお金をかき集めてようやく建てた塾なのです。土地や建物を買う際には全て契約に立ち会ったのですがお金の束を見て胸が張り裂けそうな思いがしました。拳をぐっと握りしめ「絶対に成功してやる!」と心に誓ったのです。
ですので、お客さんになる見込みがある人が0でのスタートです。この波乱万丈な人生がちょっと変わった塾の土台になっているのかもしれません。ですので、高卒の僕がまさか塾をするなんて夢にも思っていませんでした。大学入試すらも受けたことがないのです。
僕が塾を通して生徒たちに親孝行をすることにこだわるのは僕自身が人一倍、「親孝行をしたい」という思いが強いからなのかもしれません。学歴もない塾長が右も左も分からないような状態で必死に4年間頑張って、ようやく今年2020年度の田川高校の合格者数が地域トップになりました。特色選抜3人+推薦7名+一般入試5名が田川高校に合格。それから北九州高専1名、近畿S特も1名出ました。それも、ほとんど宿題なしです。
ただ、ここまで来るのにも決して簡単な道のりではありませんでした。良いことばかりではなく時には生徒にこの小さな塾を見て「なんかの倉庫かと思った」とか「僕に手を出したら、訴えてこの塾潰しますよ」とか言うのです。しかも、後半の発言は僕の心に突き刺さる一番嫌いな言葉ですが、何人もの生徒が僕に言い放ったのです。人が傷つくのを見て楽しそうに笑う子供たちを見て「これではダメだ」と塾の経営を通して伝えていきたいと思っています。ですので、いつもいつも文章が長くなって申し訳ありません。
思いが強すぎて、少し話がそれてしまいましたが、なぜ「管理しすぎず、厳しすぎず、自由な中で正しい選択をしていく」ということが大切なのかというのがこの人生の中にあるのです。
僕は小学生の時から中学生までコツコツ勉強を続けてきました。中学生までは常に学年トップクラスを維持していました。その甲斐もあり地域で最も偏差値の高い進学校である田川高校に入学することが出来ました。しかし、高校に入ってからは挫折の連続でした。高校3年の時には、靭帯を断裂し一生まともにスポーツまで出来なくなったのです。
今の学歴社会は偽りのものです。順風満帆に生きてきた人はこの学歴社会に救われた人も多いかもしれませんが、反対にこの学歴社会によって「勉強が出来ない」というレッテルを張られ、恵まれた社会から排除された人たちも多くいると思います。僕はその一人です。僕の場合は膝を悪くしたので、足を使う仕事も奪われることになりました。
「勉強自体は社会に出てもほとんど役に立ちません」どこかで挫折し、進学や就職に失敗すると「役に立たないどころか反対に学歴社会は突如として牙を向きます」。
僕は高校卒業以来、「足を悪くした欠陥品」として社会から拒まれ続けられてきた人間です。小学校から続けてきた勉強は社会で生きていく上で僕に何も与えてくれず、プライドだけが残ってしまいました。日本は自由が大きく認められた国かもしれませんが、学歴社会が作り出している安定して生きていける正規のルートから外れて本当の自由へ放り出されたとき、今まで学校で学んできた「管理も厳しさも何もありません」でした。僕が何をしようと誰も何も言いませんし、他人は興味もないのです。
これを初めて経験したのが高校生卒業してすぐなのです。この世の中は本当に「自由」です。恐ろしいほどに・・・。生きるのも死ぬのも自由だと言わんばかりです。管理されて厳しくされて我慢して指示に従い続けていれば、うまくいくなんてとんでもありません。完璧な計画なんて用意されていません。誰がそんなことをしてくれるでしょうか・・・。自分の意志で考え、正しい道を選択し必死で生きていくしかないのです。
僕自身もこの人生が正しい選択で、正しい努力だったのか分かりません。これらは誰かが用意してくれたものではなく、自分自身で全て考え行動に起こした結果なのです。
厳しさや管理というのは、指導者が作った成功するためのルールなのだと思います。そのルールの中でただ従うだけの人間になってもらいたくないのです。岳伸塾では超効率的勉強法を教えます。その方法を使って、自由な中で自分自身の意志で考えて選択し行動を起こし問題を解決していってもらいたいと思っています。
岳伸塾では強制的な宿題はありません。やるかやらないかは、「自分の意志で選択してもらいたい」からなのです。
勉強法も教えますがそれを使わない子もいます。復習をしない子もいます。その結果、どうなるのか良いも悪いも全て経験してください。
良くも悪くも岳伸塾では「自由」なのです。(当然、他の生徒に迷惑をかけるような自由はありません。そういったルールはしっかりと守ってもらいます。)
経営をしていると本当に「孤独」を感じます。
どんな生活を送っても誰からも叱られることもありません。誰からも管理されていません。確かに「自由」ですが、「自由に生きている」という感覚などはまるでありません。むしろ今の生き方に縛られています。
ただ、そんな「縛られた自由」の中でも自分の意志で考え、行動を起こし自分の人生をより良くしていかなければなりません。また、自分だけでなく「親孝行もしたい」、この「世の中を良くしたい」との思いもあります。そんな思いも自分の意志で考えて行動に変えていかないと何も変化がないのです。
塾に通いたいということは「今の現状を変えたい」と思っているはずです。人に変えてもらうのではなく、今ある環境を精一杯使って「自分自身の力で変わる」のだという意志をもって岳伸塾に来てください。僕はそんな子供とともに成長していきたいと思っています。
「自立した学習者」の先にあるものは「自分のことだけを考えるのではなく他人のことまで考える」ことだと考えています。北九州高専に合格後、「同じ学校の友達を教えたい」「今までお世話になった分、タダで教えに来ます!」と言って高校から大量の宿題を出されているのにもかかわらず、週に1~2回程度通塾してくれる生徒。学年トップで「同じ中学校の生徒なら気が向いたときに教えます」と言ってくれた生徒。仲良しの後輩に勉強を教えてくれる生徒。岳伸塾には、このような生徒がたくさんいます。その中でも、ちょっと可愛らしくて驚きの光景も見られるのです。
まだ、小学5年生の女の子ですが、先生をしてくれているのです。昨年の4月から数学を中1の生徒たちと一緒に始めたのですが、半年で他の中学1年生達を大きく引き離し、中学3年分の計算を全てマスターして、さらに関数基礎、資料問題、確率問題までできるようになったのです。この内容は分かる人には分かると思うのですが、数学の福岡県高校入試の大問1の内容すべてをマスターしたことになります。しかも、宿題を1度もさせていません。同じように中学1年生と教えたのですが、一人だけごぼう抜きしたのです。受験生たちと数学の大問1だけで勝負させたところ、見事に満点を取り同率トップになりました。
ちなみに周りの中学1年生が出来ないというわけではないのです。なぜなら、周りの中1も学年トップの子や学年2位経験者だからです。これには明確な理由があるのです。他の生徒たちはみんな中学生で一人だけ小学生という点です。小学生には中間や期末がありませんので、数学だけに集中することが出来たからなのです。この超高速で学ぶ方法を岳伸塾では「一点突破勉強法」と言います。「何だそんな事か・・・。」と思われるかもしれませんが、この勉強法はかなり効果が高いのです。たいていの小学生は同じ方法で一気に中学生を追い抜いていきます。中学生は少し悔しい思いをするかもしれませんが、ある意味仕方ないのです。(この勉強法は簡単に取り入れることが出来ますので、是非やってみてください)
ただ、この女の子の凄いところは「先生をやりながら勉強をしている」点です。自分の勉強だけをやっていたわけではないのです。他の生徒を教えている間は当然、自分がしたい勉強が出来ません。そんな状況にもかかわらず、数学の大問1だけですが受験生と対等に渡り合う力を身につけてくれたのです。
岳伸塾では先生をしてくれる生徒には割引をしています。しかも、1時間850円分の割引しています。凄いときには自分の月謝を無料にして、さらに姉の分の月謝まで割引してもらうということもありました。そして、さらにその子が立派なのは割引してもらった分で自分の好きなものを買っているのではなく、親孝行が出来ることに喜びを感じて、自分からしたいと言うところです。なんだか心を打たれますよね。
こんな調子で当塾では元生徒だった卒業生や、生徒をやりながら先生をやってくれる生徒が少しずつ増えていったのです。僕の教え子が先生をしてくれる方が、塾の勉強のやり方も分かっていますし生徒の中で信用のある真面目な生徒だけを選りすぐることが出来ます。現役で学んでいますし何度も教えて得意になった分野においては国立大学のアルバイトにも負けないと思っています。この女の子は今、数学大問1のスペシャリストなのです。数学の大問1の範囲を教える時はできるだけ彼女に任せるようにしているのですが、彼女が今いる小学生達に中学数学を教え、その教えられた小学生の生徒は中3の計算を普通に解いています。また、その中から先生が生まれるのではないかと思っています。(小学生が小学生に中学の内容を教えて先生が生まれるなんて本当に面白い塾になってきました・・・。)
僕は塾の経営をするようになって、広告で必要な「行動心理学」を学びました。どのような言葉がどのように人々の行動に影響を与えるのかというような内容です。その中で、ファンの作り方についての記載がありました。研究データによると「お客様に与えるだけ」の場合よりも「お客様から与えられる」場合の方がその会社へより強い愛着がわくということが分かったのです。つまり、そのお客様に「特別な割引やサービスをする」というのもファンになるきっかけになるのですが、お客様の声を書いてもらったりなど、お客様がその会社のために行動してくれればくれるほど、そのお客様はより強いファンになってくれるということなんです。その理由はその会社のために行動を起こせば起こすほど、好かれていると思うからなのです。人間は良く思われているところに足を運びたくなるのです。
「愛情を深める行動」についても同じです。「与えるばかりでは駄目」で「お互いに与え合う関係がより愛情が深まる」というのです。子どもに愛情を注ぐことはほとんどの親御様がやられていると思いますが、子どもからどれだけ与えてもらっているでしょうか?家族のために何かお手伝いをしていますか?子供が家族のために親孝行をすればするほど、その子供は家族から愛されていることを感じ、そして子供自身もより深く家族を愛するようになります。
僕はこのことを知ってから勉強を通して生徒が親孝行ができる仕組みを常々考えるようになりました。それが、先生をしてくれた生徒に1時間850円の割引をするというのもなのです。先生をしてくれている小学生5年生の彼女は塾に「良い評判」「良い雰囲気」「労働力」を与えてくれます。その代わりに、塾からは彼女に割引を与えます。そして、彼女は家族に割引で「収入(割引)」を与えます。僕自身、彼女のファンですし彼女も塾がファンです。そして、親孝行をして家族でも愛情が深まるのです。勉強ができるというだけで親孝行なことですが、お互いに与え合う理想的な仕組みだと僕は思っています。
生徒が先生をしてくれることの良い点はそれだけではありません。教える側の苦労も経験することが出来、先生たちの痛みも少しだけ理解できるのではないかと思います。また、塾生同士でも知識を与え合うことで「友情を育む」ことができ、学校の枠を越えて友達を作ったり、生徒同士のコミュニケーション能力の向上にも役に立っています。また、できない子を助けることは思いやりの心を育てる良い機会になると考えています。
教えられる側の生徒もまた「人としての成長がある」のです。受験生で入塾してすぐに「まさか小学5年生から教えてもらうとは」と笑いながら、教えてもらっていた生徒もいれば、小学生から教えたもらうなんてプライドが許せないと断る生徒もいます。もしかしたら、家に帰って「先生ではなく小学生から教えられた」と愚痴る生徒もいるかもしれません。僕は、そんな「プライド」や「愚痴」は人間の成長を妨げるだけで決して良くないと思っています。自分の成長のためには変なプライドを捨て、誰からでも謙虚な態度で学びを乞う精神を持つべきです。
僕は塾長をしていますが高卒です。決して自慢できるような「学歴」は持ち合わせていません。高校卒業後はやりたいことが定まらず、色々な仕事を経験しました。年齢が高くなるにつれて、年下の人が正社員をしていて、その人から仕事を教えてもらったりすることも多々ありました。それが上司が男性の場合も女性の場合も当然あります。プライドなんて何の役にも立ちません。年下の上司に頭を下げ敬語を使い指示に従い働きました。当然、毎日「悔しい」と思う気持ちはありますが、それができないと社会で生きていけないのです。
そういった経験からも「年下」だからとかそんな理由で拒むのではなく、「誰からでも謙虚な姿勢で学ぶ精神」を養う方が社会に出たときに役に立つと確信しています。もし、それで悔しい思いをしたのなら、その悔しい思いをバネにして、自分自身の成長の糧にしてもらいたいと思っています。
社会に出たことを考えれば、教える側にとっても重要な経験をすることができると考えています。将来、仕事を教えてもらうばかりではありません。仕事を任されある程度、自分で考えてそれをこなしていかなくてはなりません。1~10まで指示をくれないでしょう。当然、仕事を教えなければならない時もあるでしょう。その人が同性であったり年下とは限りません。「異性」かもしれませんし、「年上」かもしれないのです。勉強の内容は将来どこで役に立つのか分からないものばかりです。もしかしたら、全く役に立たないかもしれません。だからこそ、勉強する過程でたくさんの子供たちと助け合ったりしながら様々なことを学び、成長していってもらいたいと思っています。
「先生」をすることは将来、社会へ出たときの予行練習にもなると思っています。この学び合いには学力向上だけでなくそれ以外の生きていく上で重要なことを学ぶことができ「人としての成長をもたらす」と考えています。
僕は小学生や中学生の指導者にあまり学歴を求める必要はないと思っています。それどころか、自立を妨げる要因にもなりかねないのです。「九大生が個別指導」というのは最高学歴のスタッフが個別指導を行うという意味で、九大ではなく京大や東大でもいいのですが、九大の方がより現実味があるのでこのようなタイトルにしました。
誰もが分かるかと思いますが、小学生や中学生で学ぶ内容は決して高難易度の問題ではありません。九大生でなくとも解ける問題ですし、多くの指導者が教えることが出来ます。それどころか、少し頭のいい友達であっても教えられる内容です。高学歴の指導者に教えてもらうメリットはあまりないのです。
メリットとすれば、「分からない問題が少ない」「間違って教える可能性が低い」「独自の勉強法を教えてくれる(かも)」というところでしょう。ただし、このメリットは問題の難易度の低い小・中学生が対象では、ほとんど意味がありません。また、本格的な勉強法もほとんどの場合教えてくれることはありません。通常の個別指導では時間が短いため勉強を教えるだけで精一杯になるからです。効率的な勉強法で学力をアップをしているのではなく、過酷な勉強量を強いられるケースも少なくありません。どちらの方法で学力アップを目指しているのか、塾に入るとすぐに理解できるでしょう。勉強法ならアマゾンで検索をすれば大量に出てきますし、それらを読めば、多数の東大生からでも方法を学ぶことが出来ます。
ただ、僕自身、勉強法の本を大量に読んでわかったのですが、本当に効果があるのか怪しいものもかなり存在しますし、「高学歴」であってもテレビで言っているような脳科学ばかりで勉強法を確立していない人も多々存在します。そもそも、高学歴の人の大部分が「地頭」がいいのです。だからこそ、勉強ができない子がそれらを使いこなせるのか、それが実際に効果あるのか分からないのです。
もしかしたら、「九大生がいるという安心感」にお金を払っている可能性があります。そして、この「安心感」こそが親も子供も「高学歴」への思わぬ依存を生んむのです。「学歴なんか関係ない」と思うことが出来るのであれば、問題はありませんがその「安心感」を感じている時点で、依存は始まっているのかもしれません。もし、解けない問題があったときに「塾の先生の教え方が分かりやすいから塾で聞こう」と考えるのではなく、解けない問題に直面した時に「今ある環境でどうやって乗り越えようか」と考えることの方が遥かに大切です。その場で解説を読むこともできますし、学校の先生がいれば学校の先生に聞くこともできます。さらに、どんなに難しい問題でも学級に1人、2人は教えることのできる友達もいるはずです。そういう友達に聞く方が勉強ができるようになるだけではなく、良い人間関係を作るきっかけにもなるのです。
「塾の先生の教え方が分かりやすいから塾で聞こう」と考え、問題解決を後回しにする習慣を持っている人は残念なことに「塾でも聞かないのです」。そういう、間違った教育を親御様がしてしまう場合も十分に考えられます。
こういう考え方こそ、「依存」による大きなデメリットの一つであると考えています。
僕は学習塾の塾長をしていますが、最終学歴は「高卒」です。大学入試を受けた経験もありません。さらに、岳伸塾で個別指導を行っているスタッフはたった一人で、残りの指導者は生徒自身が行っています。高学歴を売りにしていませんが、高校入試に関しては2020年度の合格実績で北九州高専1名、田川高校15名(内訳:特色選抜3人、推薦7人、一般5人)で、田川高校合格人数では地域No.1(岳伸塾調べ)になることが出来ました。さらに2019年は学年トップ経験者6人です。これら全ての実績を、ほぼ宿題なしで成し遂げてくれました。決して過酷な勉強量を強制して出した結果ではないのです。他の塾を経営している人たちは分かると思いますが、「宿題なし」でこれを達成することがいかに難しいか理解してもらえるのではないかと思います。
岳伸塾では「自立した学習者」を目指しています。指導者の「学歴なんか左右されず、誰からでも学ぶことができる」「必要以上の依存をしない」「自分たち力で理想的な環境を作り出す」こういう精神を養ってもらいたいのです。お金を積んで必要以上に恵まれた環境を与える必要はありません。子供たちは学校の先生や塾の先生だけではなく「周りの友達」や「下級生」であっても学ぶことができます。さらに勇気をもって質問すればいつだって1対1で教えてくれるでしょう。このように自分から行動していけば、1対1のような理想的な学習環境を自力で作り出すことができますし、学力が上がるだけでなく、学校を越えて友達を作ることもできます。
岳伸塾で他校の生徒と仲良くなり、楽しんで勉強に励んでいる生徒が大勢います。ちょっと変わった個別指導ですが、僕の理想の学習スタイルなのです。
もし、子供が国立大学を目指すことになり「九大生の力」を必要したときに九大生に助けてもらいましょう。その時こそ、九大生の学力を最も有効的に引き出せるときなのです。小学生・中学生には「高学歴のスタッフはまだ贅沢すぎます」。
「今ある環境のなかでどうやって問題を乗り越えていくか」それを考えることこそ、小中学生の時期に是非経験してもらいたいと思っています。
塾の生徒に聞いた話では大量の宿題を出している塾も結構多いようです。
あまりに多くの宿題を出して、学校の授業中に先生の話も聞かないで必死に塾の宿題をしている子もいるということもよく聞きます。学校は塾の何倍も時間がありますし、あくまでも学校がメインでなければなりません。優秀な生徒は学校からの学びが多く、塾は出来ない部分の補助として使うのです。だからこそ、学校の授業を平気で蔑ろにするような習慣がついてしまうと、絶対に良くありません。
「では、少ない宿題なら問題はないのでしょうか?」
岳伸塾では、その少ない宿題すらも出していません。それには理由があります。
子供たち一人一人、学習能力に個人差があります。個人差があるにも関わらず、同じ宿題を出したらどうなるでしょうか?勉強が出来ない子に合わせて宿題を出すと、勉強が出来る人たちは成長しません。毎日毎日、宿題に邪魔されることになります。また、勉強ができる子に合わせて宿題を出すと、勉強が出来ない子がついてこれなくなり、宿題を写すようになります。これは極端な話なので、ちょうどバランスの取れたレベルの宿題を出すのかもしれませんが、それすらも良くないと考えています。
勉強法をうまく使いこなす生徒は分かると思うのですが、効率的な勉強をするためには、どこを復習するべきかというのが大事になります。簡単すぎる難易度では成長しませんし、分かるところばかり解いたのでは復習の意味がありません。さらに、同じ公式の問題ばかり解いては頭を使わなくなってしまいます。ですので、どこを「復習するべきかという判断」はものすごく大切なのです。また、宿題を指導者が決めてしまうと、非効率な勉強を強要してしまう場合が多々あります。例えば、学校は非効率な宿題を大量に出すため、子供たちの成長を妨げるケースが多いのです。(本当にすべて自学にしてもらいたい。)しかし、宿題を出していなければ、自分自身でどこを勉強するかどのように勉強するかは自分で考えなければなりません。自分がどこが苦手かを考え、その苦手を克服するためにどのような問題をどのような手法で勉強をするか工夫をするのです。より効率的な勉強法は常日頃から意識していなければ、進化していきません。効率的な勉強法の基礎を教え、あとは自分自身でそれをより良いものへと変えていくのです。
大量の宿題を与えてしまっては、やりたい勉強が出来なくなってしまいますし、言われた問題を言われた方法で解く習慣が生まれてしまいます。それによって、突き抜ける力を失ってしまうと考えています。
岳伸塾では、勉強が出来る生徒には一切、宿題を出していません。(出したことは数回くらいならあるかもしれない。記憶にはありませんが。)しかし、たいてい毎年のように学年トップの生徒が生まれます。人数的には2019~2021の間で3~6人程度です。伊田中や田川中、金川中の生徒なら知っているかもしれません。他の塾で毎日毎日大量の宿題をこなしている生徒と十分に渡り合っています。大量の宿題を毎日こなしていたら、その積み重ねでかなりの差がつくはずなのですが、学年トップ争いから外れないのです。むしろ、中3になると、中1、中2で中3まで英語や数学を終わらせているため、学年トップを独走する生徒も出てきます。それだけではありません。本当に勉強が出来る生徒は自立して勝手にどんどん勉強していますので、教えたレベルを大きく超えることも多々あります。中学1年から塾を始めて、中2、中3で英検準2級を取得する生徒はなぜか現れますし、下手をすると英検2級を取る生徒まで現れるのです(実際はあと1問で合格らしい・・・もう時間の問題か)。ちなみに英検準2級は高校中級程度、英検2級は高校卒業レベルです。
「いや、中学の範囲しか教えていないのになぜ・・・。」と思ってしまうのですが、中学の基礎英語の文法しか教えていないのに不思議と想像の範疇を超えて生徒たちは成長するのです。
田川高校でも多くの中学校でも、学年トップの生徒が塾に通っていないということをよく耳にします。それも、そういったケースが決して少なくないのです。多くの人たちは不思議に思ったり、特別、地頭がいいのだと思うかもしれませんが、岳伸塾のような変わった塾を経営していると納得も出来るのです。
まず、大量の宿題によってその子が必要な勉強をすることを邪魔されていない。さらには、圧倒的な自立した勉強が出来ていて、常に効率的な勉強をするように工夫をすることを積み重ねてきているわけです。それも、誰からも教わらず、自分自身でどのようにしたら効率的な勉強になるのか考えてきているはずです。
さらにもう一点、塾に行かない子が学年トップになれる理由は「教えてもらって解けた」のと「自分で考えて解けた」とは大きな差が生まれるからです。分からない問題があった時にも「教えた貰って理解できた」と「自分で調べて理解できた」では、大きな差が生まれます。例えば、あなたがタクシードライバーになったとして、複雑な道を覚えなければならないとします。目的地までベテランの人が道を教えて、車の先導して車の前を先導して走り、それについていけば目的地にたどり着くことが出来ますが、なかなか道を覚えることが出来ません。たとえ、目印を覚えながら走っていたとしてもなかなか覚えられないものです。しかし、一度でも自分だけでその目的地まで走ることが出来たら、不思議とあっという間に覚えてしまうのです。少し、地図を見ていつも目的地に着くことが出来ていたら最強ですよね?それを、幼いころから続けているわけです。依存を重ね、教えてもらえばもらうほど、このような経験は少なくなります。勉強が出来る子は、教えなくてもほとんど教材を見て解き方を理解し、問題が解けるようになってしまいます。そして、それが当たり前のように習慣化しています。本当にごく稀に分からない時に質問するだけなのです。反対に勉強が出来ない子は、教えてもらっていないところはやらない。分からないところはやらない。完全に先生が来るまでストップの状態です。こういった考え方は、生徒本人が考え方を変えなければなかなか出来るようになりません。
良い面ばかりを話してしまいましたが、勉強が出来ない子が是非、出来る子たちの良い面を真似してほしいから伝えたいというのもありますが、それでは卑怯ですね・・・。
もちろん、岳伸塾にも出来ない子はいます。入塾試験もしていませんし、田川高校を目指す気持ちのある生徒なら全て無条件で受け入れています。ですので、個人差が激しいです。そもそも、勉強法を教えてもその通りにしない子もいますし、学校で不真面目な子もいます。宿題がない分、なかなか成績が上がりません。
さきほどは「少ない宿題すらも出していません」と言いましたが、学力の遅れが目立つ子には例外として宿題を出しています。ただし、大量に出すのではなく、「習ったところの復習をする」というのを宿題にしています。習ってすぐなら、忘れていないためそれほど、負担なく宿題が出来るからです。宿題と言わなければ、塾の授業で習ったところを復習しないからです。自立をすれば、宿題をしなくてもいいことがわかるはずです。なぜなら、塾で習ったところを復習するという習慣が身につけばいいからです。どこを家庭学習すればいいのかは明確です。
最後に、今回「大量の宿題が考える力を奪ってしまう。突き抜ける力を手に入れるためには自ら考えることが大切」というテーマで話しましたが、当然、宿題がないことで良い面も悪い面もあります。大量の宿題をこなすことで、学力がアップし、忍耐力がつき根性を身に着けることが出来るでしょう。また、それを強制できる塾は多くの生徒を安定して成績アップへと導くことが出来るはずです。ただ、そういった塾は他にもたくさんありますので、岳伸塾はあくまでも自由な塾を貫きたいと思います。田川にこういった塾が一つくらいあっても良いと思います。自由な環境で生徒たちの意思で考え、工夫し、大量の宿題を出している塾にも負けない、そんな生徒たちを育てたいと思っています。
「お金を払うのだからたくさん教えてもらいたい」そう思うのが普通です。確かに1対1であれば、あなたの望むような学習環境が手に入るかもしれません。しかし、それでは費用がかなり高額になる上に「自立」という面ではあまり良いことではありません。お金を積んで生まれた1対1の付きっ切りの学習環境は、異常な状態であると僕は考えています。
例えば、先生が横に付きっ切りになって「どこが分からないのか探してあげる」のではなく、生徒本人が「分からないところを質問する」必要があるのです。たったこれだけの事ですが、勉強が出来ない子の大半はこれが出来ません。
ここに「人としての成長」があるのです。
自分で分からないところを見つけて勇気をもって質問する。自分で解決しようと行動を起こすことが大切なのです。自ら行動を起こせば、学校でも勉強が出来る友達や先生に1対1で教えてもらうことが出来るのです。決して、お金を積んで1対1を作ったのではなく自分自身の力で作ったのです。学校でも塾でも必要な時に1対1を自分自身で作ることができます。相手が学校の先生でも友達でも塾の先生でもいいではありませんか。問題を解決するため自ら行動を起こすのです。「分からないところを聞く」これが「自立の始まり」なのです。
「分からないところ」や「理解度」というのは、学習者本人でなければ分からないのです。それを、他人が見つけようとするのはかなりの労力を必要としますし、学習者本人が理解していると嘘をついてしまえばそれでおしまいです。勉強が出来ない子の中には結構いるものなのです。もしからしたら、勘違いして理解していると思っているだけかもしれませんし、その先生に教えてもらいたくないから嘘をついているのかもしれません。子供によって本当に様々です。
「将来、社会に出たときに仕事で分からないことがあった時にどうするのでしょうか?」
「分からないところが分からない」「全部分からない」「聞きたくないから聞かない」「聞くのが怖いから聞かない」そんなことで許されるわけがありません。勉強が出来ない子ほど将来、良い職場環境に恵まれる可能性は低いため、最低限「勇気をもって聞く」くらいは身に着けておくべきです。
お金持ちの御曹司なら幼いころから恵まれた環境で育てても、将来も恵まれた地位につけるかもしれませんが、社会はそんなに甘いものではありません。誰がつきっきりになって仕事を教えてくれるでしょうか?つきっきりで教えてくれるのは本当に何も分からない最初だけですよね?分からないところがあるのなら自分で聞かなければなりません。しかも、相手がいつも親切で優しい人だとは限りませんよ。幼いころからお金で必要以上に理想的な環境を与え、甘やかせすぎるのは絶対に良くない事です。学問で本当に突き抜けている人は必要以上の「依存」を行っていないことに気付くべきです。
家庭教師や個別指導をしていたとしても、本当に突き抜けている人は「依存している時間」よりも圧倒的に「自分で乗り越えている時間」の方が多いのです。誰かに必要以上に依存しなければならない人が突き抜けるわけがありません。勉強で突き抜ければ突き抜けるほど、周りを突き放し自分との戦いになります。その時にいかに自立しているかが問われるのです。
しかし、これはあくまでも「理想」にすぎません。本当の意味で自立をしている子供は一握りしかいません。間違いなく1対1の環境が必要なお子様もいます。だからこそ、徐々に自立を目指して、依存から抜け出す必要があります。岳伸塾は「自立型の個別指導」です。1対1どころか場合によっては1対十数人になることもあります。依存度の高いお子様は生徒数が多い時は、当塾は不向きです。まずは、依存型の個別指導塾や家庭教師を利用し、少しずつ自立できるように働きかけていきましょう。本当に自立した学習者であれば、是非とも、当塾へお越しください。自立のさらに先、他人を教えることで割引をもらい、自分自身も成長していっています。また、岳伸塾では必要に応じて「動画学習」や「一斉指導」も行います。指導方法に左右されず、どのような学習スタイルでも真剣に向き合い能力を高めていってもらいたいと思っています。
また当塾では超効率的な勉強法を身につけることも目的としていますが、僕は勉強に対する「考え方」「姿勢や態度」「意識」は勉強法以上に大切なことだと考えています。その子がどんな生き方をしているかということが勉強にも大きく影響を与えます。日々の生活の中でも、必要以上に甘やかすことなく自分で乗り越えられることは自分で乗り越えていくようにしてください。自立した社会人になるようともに教育していきましょう。