田川の塾|五.管理しすぎず、厳しすぎず、自由な中で正しい選択をしていく。|超効率的勉強法を追求する個別指導の岳伸塾(ガクシンジュク)」

五.管理しすぎず、厳しすぎず、自由な中で正しい選択をしていく。

まずは、僕が歩んできた波乱万丈の人生を聞いてください。

僕は高校3年のときにスポーツで膝の靭帯を断裂しました。専門学校を受験し学科試験では合格したものの面接で不合格、そのまま膝の手術が必要になり、卒業式も参加することが出来ませんでした。その後は親が看護師をしていたというのもあり、何となく看護学校に行ったのですが、そこで手術した膝の靭帯が再断裂し患者さんを移送することが困難になりました。それから、警察や自衛隊の試験を受けましたが、学科試験は合格するもののすべて膝が原因で最終選考まで残りませんでした。その後は、派遣やアルバイトなど数多くの仕事を経験しました。年齢を重ねるごとに仕事に対する劣等感が増していき、独立したいという思いが強くなっていきました。

僕は派遣やアルバイトをしながら、26歳の時に独学でプログラミング言語やアドビのデザインソフトの使い方を独学で勉強し、ITの事は何も分からないまま6個くらいの言語を使えるようになりました。その後、ホームページの作成を始めたのですが生活していくのには程遠いものでした。

その後、僕の膝は年齢を重ねるごとに悪くなっていきました。30歳になるまでに膝の手術は合計5回に達しました。最後の手術は「軟骨がすり減って穴が開いているので、軟骨を取って培養して、またそれをもとに戻す手術が必要」と言われました。最後の手術は膝の中がボロボロに傷ついたところを綺麗にし、閉じただけだったのです。その手術を受けるとなるとリハビリなどを含めると半年の入院、さらに1年以上の通院を余儀なくされるのです。とてもではありませんが、資金的にも精神的にもその手術をうける余裕はありませんでした。

そんな時に親戚のおじさんの葬式がありました。そこで、いとこの姉ちゃんから「子供を田川高校に入れたいので勉強を教えてやって」と言われたのです。中学の勉強なんてやっていませんし、ブランクは15年くらいになるのではないでしょうか・・・。最初は勉強を教えてもうまくいきませんでしたが、勉強法を学んだことでそれが一転したのです。60点台から98点を取り、数学は学年トップになりました。今思えば、これが僕の人生の大きな転機になりました。

「ホームページの作成で成功したい」という思いもありましたが、その一方で生活していけない現実がありました。塾や家庭教師なら夜に教えて、昼間はホームページの仕事が出来ると思ったのです。たった一人の成績を上げただけで、塾を立ち上げることにしました。正気の沙汰ではありません。最初は家でやっていましたが、しばらくして親に無理やり近くの小さな土地を買い、コンテナハウスを建ててもらえるよう頼みこむようになりました。うちは決してお金持ちではありません。両親ともにサラリーマンですし、2人とも中卒で中学卒業後、すぐに働き始め決して多くない給料を家族の生活のためにコツコツお金を貯めてきていたのです。それを当てにしていた僕は本当に最低の人間だと思います。しかし、その時の僕は「こんな人生ならいつ死んでもいい」と考えていたのでまともな考えではなかったと思います。親と何度も口論になりましたが、その時は人生どん底でそれが唯一の望みのように思え、引くことが出来ませんでした。本当に必死でした。僕の人生を不憫に思ったのか最終的には親も認めてくれて、今の小さな塾を立ち上げたのです。小さな塾ですが、僕の両親が銀行の定期預金や生命保険の定期を崩しお金をかき集めてようやく建てた塾なのです。土地や建物を買う際には全て契約に立ち会ったのですがお金の束を見て胸が張り裂けそうな思いがしました。拳をぐっと握りしめ「絶対に成功してやる!」と心に誓ったのです。

ですので、お客さんになる見込みがある人が0でのスタートです。この波乱万丈な人生がちょっと変わった塾の土台になっているのかもしれません。ですので、高卒の僕がまさか塾をするなんて夢にも思っていませんでした。大学入試すらも受けたことがないのです。

僕が塾を通して生徒たちに親孝行をすることにこだわるのは僕自身が人一倍、「親孝行をしたい」という思いが強いからなのかもしれません。学歴もない塾長が右も左も分からないような状態で必死に4年間頑張って、ようやく今年2020年度の田川高校の合格者数が地域トップになりました。特色選抜3人+推薦7名+一般入試5名が田川高校に合格。それから北九州高専1名、近畿S特も1名出ました。それも、ほとんど宿題なしです。

ただ、ここまで来るのにも決して簡単な道のりではありませんでした。良いことばかりではなく時には生徒にこの小さな塾を見て「なんかの倉庫かと思った」とか「僕に手を出したら、訴えてこの塾潰しますよ」とか言うのです。しかも、後半の発言は僕の心に突き刺さる一番嫌いな言葉ですが、何人もの生徒が僕に言い放ったのです。人が傷つくのを見て楽しそうに笑う子供たちを見て「これではダメだ」と塾の経営を通して伝えていきたいと思っています。ですので、いつもいつも文章が長くなって申し訳ありません。

思いが強すぎて、少し話がそれてしまいましたが、なぜ「管理しすぎず、厳しすぎず、自由な中で正しい選択をしていく」ということが大切なのかというのがこの人生の中にあるのです。

僕は小学生の時から中学生までコツコツ勉強を続けてきました。中学生までは常に学年トップクラスを維持していました。その甲斐もあり地域で最も偏差値の高い進学校である田川高校に入学することが出来ました。しかし、高校に入ってからは挫折の連続でした。高校3年の時には、靭帯を断裂し一生まともにスポーツまで出来なくなったのです。

今の学歴社会は偽りのものです。順風満帆に生きてきた人はこの学歴社会に救われた人も多いかもしれませんが、反対にこの学歴社会によって「勉強が出来ない」というレッテルを張られ、恵まれた社会から排除された人たちも多くいると思います。僕はその一人です。僕の場合は膝を悪くしたので、足を使う仕事も奪われることになりました。

「勉強自体は社会に出てもほとんど役に立ちません」どこかで挫折し、進学や就職に失敗すると「役に立たないどころか反対に学歴社会は突如として牙を向きます」

僕は高校卒業以来、「足を悪くした欠陥品」として社会から拒まれ続けられてきた人間です。小学校から続けてきた勉強は社会で生きていく上で僕に何も与えてくれず、プライドだけが残ってしまいました。日本は自由が大きく認められた国かもしれませんが、学歴社会が作り出している安定して生きていける正規のルートから外れて本当の自由へ放り出されたとき、今まで学校で学んできた「管理も厳しさも何もありません」でした。僕が何をしようと誰も何も言いませんし、他人は興味もないのです。

これを初めて経験したのが高校生卒業してすぐなのです。この世の中は本当に「自由」です。恐ろしいほどに・・・。生きるのも死ぬのも自由だと言わんばかりです。管理されて厳しくされて我慢して指示に従い続けていれば、うまくいくなんてとんでもありません。完璧な計画なんて用意されていません。誰がそんなことをしてくれるでしょうか・・・。自分の意志で考え、正しい道を選択し必死で生きていくしかないのです。

僕自身もこの人生が正しい選択で、正しい努力だったのか分かりません。これらは誰かが用意してくれたものではなく、自分自身で全て考え行動に起こした結果なのです。

厳しさや管理というのは、指導者が作った成功するためのルールなのだと思います。そのルールの中でただ従うだけの人間になってもらいたくないのです。岳伸塾では超効率的勉強法を教えます。その方法を使って、自由な中で自分自身の意志で考えて選択し行動を起こし問題を解決していってもらいたいと思っています。

岳伸塾では強制的な宿題はありません。やるかやらないかは、「自分の意志で選択してもらいたい」からなのです。
勉強法も教えますがそれを使わない子もいます。復習をしない子もいます。その結果、どうなるのか良いも悪いも全て経験してください。

良くも悪くも岳伸塾では「自由」なのです。(当然、他の生徒に迷惑をかけるような自由はありません。そういったルールはしっかりと守ってもらいます。)

経営をしていると本当に「孤独」を感じます。
どんな生活を送っても誰からも叱られることもありません誰からも管理されていません。確かに「自由」ですが、「自由に生きている」という感覚などはまるでありません。むしろ今の生き方に縛られています。

ただ、そんな「縛られた自由」の中でも自分の意志で考え、行動を起こし自分の人生をより良くしていかなければなりません。また、自分だけでなく「親孝行もしたい」、この「世の中を良くしたい」との思いもあります。そんな思いも自分の意志で考えて行動に変えていかないと何も変化がないのです。

塾に通いたいということは「今の現状を変えたい」と思っているはずです。人に変えてもらうのではなく、今ある環境を精一杯使って「自分自身の力で変わる」のだという意志をもって岳伸塾に来てください。僕はそんな子供とともに成長していきたいと思っています。