田川市の個別指導塾。超効率的勉強法を追求する岳伸塾

六.塾長はいつもジャージ。それこそ最強の理由。

僕はいつもジャージなのです。昨年までは、塾長らしい姿を心掛けて夏はカッター、冬はスーツを着るように心がけていました。普段はこのような服は着ませんので、余計な出費です。それから、家でもこんな姿で過ごしていませんので着替えなければなりません。毎日毎日のたった数分の着替えですが、それが億劫になってしまいジャージ姿に。ダメな塾長です。

間違いなく、塾の経営として考えたとき、ジャージ姿なんてマイナスイメージにしか繋がりません。でも、今はこのジャージ姿こそが最強だと思っているのです。

スーツでビシッと決まった学習塾に比べたら、はっきり言ってイメージは良くないでしょう。しかし、ダメな塾長は「着替えるのが面倒くさい」という理由でマイナスイメージの家で過ごしているジャージを着たまま塾に行くのです。そして、それはエスカレートしほぼ毎日ジャージ姿になってしまいました。時折、ジャージ姿でどう思われているのか内心、「不安」を感じていました。

しかし、そんな塾長の思惑とは反対にこんなジャージ姿を見ても誰一人として文句1つ言わないのです。

中には僕の知らないところで、「ジャージだからやる気がない」とか「きちんとしていない」などいろいろな事を言い合っている人もいるかもしれません。もし大半の子供たちや親御さんがこのように思っていたら、塾が満席になるほどの人気は得られなかったと思うのです。

本当に優れた子供たちは「見た目なんか関係ない」「中身を見てくれていた」のだとハッと気づかされたのです。
「不安」を感じている僕自身が本当に生徒のことを信用しきれていないのだとむしろ反省させられました。

むしろ、僕はこの「ジャージ姿で伝えたいことがあります」。これは僕の「欠点」です。スーツを着るということはこの「欠点を隠して良く見せよう」としている行為なんだと思うのです。

世の中の指導者たちは完璧な人間ばかりではありません。むしろ、完璧な人間の方が少ないのではないでしょうか?

僕がこのジャージ姿で伝えたいのは「欠点がある指導者からでも多くのことを学んでほしい」ということなのです。

こう考えるようになったのは、塾を始めて4年間での学びの中にあったからなのです。
正直に打ち明けると、「クレームもある」のです。この文章を見ても分かる通りダメな塾長です。欠点を探そうと思えばいくらでも見つけることが出来るでしょう。決して多くはありませんが生徒の中には「人の欠点を探し、それを親に言いつける習慣」を持っている子もいます。そういう場合のほとんどが「親も一緒になってそれをしているのです」

子供から親に指導者の悪口を言い、それを親が認めてしまえばその子にとって「指導者の立場は下がってしまいます」。それを繰り返せば繰り返すほど「親は指導者への不信感を深め、子供はダメな指導者だという印象が深まってしまいます」また、このような習慣を持っている生徒の中には「自分が勉強が出来ない言い訳を他人の欠点のせいにする」子もいます。「僕も悪いけど、それは先生のせい」「先生が悪いから僕が悪くなる。僕は悪くない・・・」その結果として、破滅的な最後を迎えてしまいます。「この塾はあっこが悪い。ここが悪い。」僕はその愚痴を言いつける習慣こそ悪いことであると考えていますので、それを直すように言います。結果、お互いがお互いの悪いところの言い合いになって、関係が悪化して塾を辞めていくという経験も何度かしました。

ただ、本当にそれは少数派なのです。そうでなければ、今頃、このダメな塾長が原因で岳伸塾は潰れているでしょう。

むしろ、ありがたいことにお互いが感謝し合って、良い関係を作って卒業する生徒の方が圧倒的に多いのです。卒業生の中には「高校の範囲の勉強は教えられないよ」と言っているのにもかかわらず、「環境だけでもいい!」「教えに来ます!」と言ってくれる卒業生までいるのです。

同じように教えていても子供によっては、真逆の結末を迎えてしまうのです。

これは「僕が変わるべきなのでしょうか?」それとも「子供が変わるべきなのでしょうか?」そう考えたときに、「僕が完璧になるのではなく、完璧でない欠点のある指導者からでも学べる子供たちにしていくべき」だという結論に至ったのです。多くの生徒たちが良い人間関係を作って卒業していくのなら、それが出来ない生徒が変わる方がその子にとっての成長ではありませんか。

このように完璧を求めない塾長を良く思わない人もいるでしょう。しかし、完璧を追求しないのは勉強の内容や指導方法ではないのです。勉強とは関係のないはずの「見た目」の部分なのです。欠点を隠さないほうが子供の成長に繋がるのであれば、喜んで本来の自分自身に近いジャージ姿でいようと思えたのです。これは支えてくれる生徒達や親御さんたちが気付かせてくれたことなのです。見た目の完璧を求めない代わりに、このように世の中が良くなっていくように子供たちが正しく成長していけるように声を上げていきたいと思います。

完璧で無くてもいいと思えることで、僕自身も余計な心配をすることなく「勉強」という本来大切な部分に専念できるようになりました。優れた子にとっては本当に必要なのはそこだけで十分なのです。

ところで、少し話は変わりますが生徒や親御さんの話を聞くと「学級崩壊をしているクラスが少なくない」というのです。

「学校の先生の悪口や欠点をあなたの子供は言っていないでしょうか?」

学校の先生であっても完璧な人はそうはいません。欠点だって当然あると思います。その欠点を親に言いつけるような習慣は絶対にやめてください。友達同士でも指導者の悪口や欠点を口にするべきではありません。相手が子供たちと言えども指導者は1対複数で対応しなければならないのです。その子供を支持するということは、1対複数人にさらに親も加わり、大勢で1人をいじめているようなものです。その結果、今は学校の先生になりたいという子供たちがいなくなり、鬱になる先生もたくさん増えてしまったのです。子供と親も一緒になって指導者の欠点や悪口を言うような世の中になってもらいたくありません。お願いですから、あなたはそのような親にならないでください。いじめが悪いと分かっていながら同じような事を指導者にしているのです。子供が指導者の欠点や悪口を言っていたら、叱れる親になってください。

指導者であっても完璧でなく欠点があってもいいのです。人や環境を選ばず成長していける子供になってもらいたいと考えています。だからこそ、人の欠点を探すようなことはせず、人の良いところを見つけて自分自身の成長につなげていけるようになってほしいと思います。

最後に、勘違いしてほしくないことがあります。指導者は教え子の良い面も悪い面も見つけてあげなければなりません。良い面ばかり見ていては、悪い面が直らないからです。完璧な子供だってそうはいないはずです。悪いことをきちんと見つけて叱れる指導者に出会うこともまた大切だと思いますし、子供にとって親は指導者の立場ですから、しっかりと悪いところも見つけ叱ることもしてもらいたいと思っています。

子どもには「人の欠点や悪いところを見つけるな」と言いながら、「指導者なら人の欠点や悪い点を見つけるようなことをしていいのか」と思うかもしれませんが、それが指導者という立場なのです。褒めるだけでは良い成長をしていかないのです。悪い面も見つけてあげ、指摘すべきですし時には叱る必要もあるのです。当然の話ですよね?指導者は多くの教え子を見て、経験を通して良い面も悪い面も見つけられるようになります。だからこそ、それが指導者の使命なんだと思うのです。

塾で教えられることは勉強だけではないと思っています。学習塾という仕事を通して、少しでも自立した社会人になれるように役立つことが地域への貢献だと思っています。

今日もおそらく塾長はジャージです。しかし、それを見てどうかダメな塾長と思わずにここに書いてある伝えたい想いを思い出し、あなたや子供の成長に繋げてください。