田川の塾|学校の先生は必ずしも味方ではない|超効率的勉強法を追求する個別指導の岳伸塾(ガクシンジュク)」

学校の先生は必ずしも味方ではない

勉強法を簡単には実行できない一つの例として、学校での実践があります。有名な予備校の先生が書いたある本に「学校の先生への対抗策を持っていなければならない」と言うものがあります。学校の勉強時間は塾とは比べ物にならないくらいあるのです。本当に頭のいい人は授業の受け方やノートの取り方が違いますし、非効率な勉強法を強制される場合は、友達とタッグを組み抵抗します。正直、学校での勉強法を変えることが最も効果があるのではないかと思います。

ただし、この方法は簡単にはいきません。学校の先生がそれを許さないからです。他の学生よりもずば抜けた成績をとるためには学校での授業の受け方を知るだけでなく、学校の先生に対抗する勇気と知恵が必要なのです。

7.少しだけ、秘密を教えます

5.学生は勉強法を探し求めている場合ではない

学生は勉強法を探し求めている場合ではない

学生は優れた勉強法を取り入れるべきですが、自分自身で勉強法を探すのはあまりお勧めできません。最初の数冊からは多くの勉強法が得られますが、本の量を増やしていくとすぐに重複する内容に出くわす事になります。これらを読み飛ばす技術をつけなくては、時間がかかりすぎるのです。さらに本一冊を読んだだけでも、かなりの数の方法が紹介されていて、どれが効果的か判断できない場合もあります。また、人によっては本を読み慣れていない場合もあるでしょう。分厚い本は教科書3冊分くらいページ数があるものもあります。とてもではありませんが、読めば読むほど非効率になりかねません。もし、それだけ読める学生なのであれば、既に優秀な成績を修めているのではないでしょうか?

たとえ本が読める人でも、「情報中毒者ではなく情報ユーザーにならなくてはいけない」と言う点でも、情報を追い求めるのは学生にとって危険です。読んで理解する事は簡単だけど、「行動」に移すのはそれほど簡単な事ではありません。多くの本を読んだことに満足し、「行動」に移さないのであれば、ただ勉強時間を減らすだけになってしまいます。学生は「正しい勉強法」を誰かから学びそれを実行することに集中すべきだと私は思います。

6.学校の先生は必ずしも味方ではない

4.勉強法の本を読みすぎて本の山に

勉強法の本を読みすぎて本の山に・・・

早速、アマゾンで調べてみると、出るわ出るわ勉強法。東大や京大やハーバード卒の人、脳科学者、記憶力世界チャンピオン、速読日本一の人、勉強コンサルティングの人、本をいっぱい出して秘密を惜しげもなく披露しているのです。これは明らかに、「良い勉強法」と「悪い勉強法」が存在しているという紛れも無い証拠です。

最初に勉強コンサルティングの人の本と大手学習塾が書いた本を読んで試したところ、2ヶ月で64点から98点。教えた内容は「記憶には秘密がある」「記憶の性質」といった感じです。私が塾を始めた当初は、これを前面に押し出していましたが、やはり経営はとても不安でした。私は不安になると本を読んでしまいます。分かる方もいらっしゃると思うのですが、本を読むと成長した気がして安心するのです。勉強も同じでした。勉強が出来ないと勉強量を増やして安心していました。その結果が前のページの本の山です。電子書籍もあるので、こんなもんではありません。(情報中毒者って感じです。)

私は本を読むとき速読を使います。速読の方法は何種類かあるのですが、私の方法は速読スピードに緩急を付ける事で実現しています。大事なところ、使えそうなところに意識を集中し、検索モードで見つけるけるまで高速で読みます。そして、ポイントを見つけたら理解モードに入り、速度を落として必要な情報か判断し、必要な情報と思った場合は時間を使って「何度も読んだり」、「使っているところをイメージしたり」、「付箋を貼ったり」、「線を引いたり」「ノートにまとめたり」するのです。

こういった本は、小説のように楽しみながらじっくり読む本ではありません。速読を使わなければ、量を読むことはとても出来ないのです。たとえ速く読めたとしても、集中するところを作らなければ、何も得られずに終わってしまいます。

5.学生は勉強法を探し求めている場合ではない

3.なぜ勉強ではなく、勉強法を選んだのか?

読み漁った本のキリトリ

なぜ勉強ではなく、勉強法を選んだのか?

私が甥っ子に勉強を教えても思っていたような成果が出せないと分かったとき、なぜ「勉強そのもの」をやり直さなかったかと言うと、学生時代からずっと引っかかっていることがあったからです。

私は田川高校の生徒だったのですが、トップクラスの人達と私とでは記憶力、理解力が比べ物になりませんでした。特に1番と2番の人は次元が違うのです。私は高校になって勉強が分からなくなってきたので、部活をやめてしまいました。おかげで時間はたっぷりあります。しかし、どれだけ、勉強量を増やしても勝てないのです。しかも、2番の人は部活を夜遅くまでしていますし、1番の人は5教科500点をとるむちゃくちゃぶり。両手でペンを持ち、右手で問題を解き、左手で答え合わせをしているのを見たときは、頭の出来が違いすぎると思いました。

一度、1番の人にどれだけ勉強しているのか訪ねた事があります。すると、こんな返事が返ってきました。「私、テレビっ子やきいつもテレビを見よう。全然、勉強とかしてないよ。」本当か嘘なのか分かりませんが、今でもそれを覚えています。完全に諦めたきっかけは、2番の人が夜遅くまで毎日部活をしているという事実。「努力をする時間そのものが私より圧倒的に少ない」と気付いたときでした。その時は才能の違い(生まれ持ったもの)なのだろうと思い、多くの時間を使って勉強をしているのが馬鹿らしくなったのです。

大人になって、冷静に考えてみると田川高校で天才が2人もいれば、全国で毎年、どれだけの天才が出ている事になるんだ・・・?と思うようになりました。しかし、「何かあるな・・・」とは思っていたものの、切迫した必要性を感じず勉強法を調べたりなどはしませんでした。

ところが、甥っ子に勉強を教え始めたとき、すでに中学2年生の中盤。早急に結果を出す必要がありました。「勉強をして、勉強を教えるのがうまくなるのではもう間に合わない。そもそも、学校の先生は各教科に分かれていて、毎年毎年、同じ内容を教えている勉強のエキスパートだ。今からしたところで、超えられるはずがない。」「しかも、学校の先生が教えても出来ない子を教えなければならない上、週3回2時間と言う学校よりも遥かに短い時間で遅れている部分を取り戻す必要がある。そのためには通常のやり方ではダメだ・・・。何かを探し出さなきゃ。」

もう、勉強法を探すしか選択肢は無かったのです。(結局、ほとんど勉強を教えた経験がない私が1年と半年で田川高校に合格させる事になりました。今は3ヶ月でもう1人合格させる事が出来ました。)

4.勉強法の本を読みすぎて本の山に・・・

2.勉強を教えても伸びない

勉強を教えても伸びない

夏休みが終わり、2学期が始まると早速、週3回2時間(数学2回英語1回)家庭教師を始めました。私自身10年以上ブランクがあったので、覚えているか不安でしたが、数学はもともと一番の得意科目でしたし、英語はプログラミングをしているおかげで、教えるのと平行して勉強すればそれほど問題はありませんでした。しかし、本人が「田川高校に行くのは無理」と自覚しているだけあって、一番得意な数学ですら微妙な感じ・・・。英語に関してはThis、Thatが分からないだけでなく「be動詞っち何?」と聞いてくる始末。「これ、絶対無理やね」と心の底で思いながらも、勉強を教えていました。
しばらくして、2学期の中間が始まりました。連立方程式の計算問題ばかりのテストで64点。英語は40点台・・・。さらに「これ確実に無理だな」との思いが一層増しましたが、それ以上に「これでは、教えている意味が無い。せっかく引き受けたからには、期待に応えたい」と思い、勉強法の本をアマゾンで探し、レビューのいいものを片っ端から読むことにしたのです。そして、「勉強そのものではなく勉強法」を学んだ事が功を奏しました。なんと次の期末テストで数学が98点(内容は図形)で学年トップに。「学校の先生が2度見したきね」と本人が言っていたと、いとこの姉ちゃんから聞いた
ときには、うれしさがこみ上げてきて、それを想像して一緒に笑いました。

それから、怒涛の快進撃が続きます。数学はほとんど90点台後半、英語も半年後には80点台後半まで伸びました。理科や社会、国語も良いときには、全て80点後半から90点後半へ。通知表も3と4ばかりからほとんど4と5になり、結果として田川高校を推薦で合格しました。

(ちなみにこの年から40人定員が減り倍率が高くなっています。)

3.なぜ勉強ではなく、勉強法を選んだのか

1.学習塾を始める事になったきっかけ

学習塾を始める事になったきっかけ

私は長年、苦労し続けているプログラマーでした。ホームページを作成したり、時にはITで成功した人に憧れ、電話帳や動画検索システムなどを開発したりしていました。フリーランスでやっているため、デザインからプログラミング、システム開発まで幅広くやらざるを得ず、本当に地獄の様な日々でした。本は何百冊読んだか分かりません。プログラミング言語も8種類くらい覚えました。しかも、専門書は分厚く値段が高いものばかり、勉強、勉強、勉強に明け暮れる毎日だったのです。

(マーケティングを学んだ事がある人は分かると思いますが、成功できない
典型的なパターンです。早く今の師匠に出会いたかった・・・。)

そんな時、親戚の集まり事があって、たまたま甥っ子に「どこの学校受験するん?」と聞きました。すると、「たぶん、東○。成績が足らんき。」と返ってきたのです。その会話を聞いていた、いとこの姉ちゃんが「勉強、教えちゃってくれん。」と言ったことがきっかけで勉強を
教える事となりました。と言っても、まともに勉強を教えた経験がない
ばかりか10年以上のブランクがありました
。しかも、この時、甥っ子は既に2年生の夏休みの終わりごろ。「ちょっと無理かもしれないなぁ」と思いながらも、コードを書く毎日にうんざりしていましたし、中学生程度の勉強なのでちょっとした気晴らしになるんじゃないかと軽い気持ちで引き受けたのです。

2.勉強を教えても伸びない

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